生田信一(ファー・インク)
工芸品のような仕上がり。空押しと小口染めで名刺を演出する
今回のコラムは、書籍の装幀を中心にさまざまなグラフィックを手がけるデザイナーの大森裕二さんに活版印刷で刷る名刺のデザインをお願いしました。ベテランデザイナーによる印刷入稿データの作り方と印刷指示書のまとめ方を紹介します。さらにデータを受け取った後の、印刷工場での製版・印刷・加工のプロセスを紹介します。
特に今回は、活版印刷名刺に有効な加工方法として人気の高い「空押し」と「小口染め」にチャレンジしていただきました。活版印刷のカードで厚手の用紙を利用するときには是非試したい技法です。出来上がった名刺はまるで工芸品のよう。活版印刷の魅力を存分に味わうことができます。
装幀デザインのタイポグラフィ
東京 神田神保町にあるオオモリデザインオフィスを訪ね、これまでのお仕事や活版印刷との関わりについてお話をお聞きしました。大森さんのオフィスは資料でいっぱいです。いつでも必要な資料が取り出せるよう整理され、機能的に配置されていることに驚かされます。
大森さんの現在のお仕事の中心はブックデザインです。ブックデザインは本全体のつくりを設計するほか、表紙やカバーのデザインや本文の誌面設計、文字組版、印刷用紙の指定など、幅広い知識とセンスが必要とされます。最終の仕上がりをイメージしながら、個々のパーツを組み立てていく作業になりますが、ブックデザインというお仕事は、長年の経験と蓄積された知識が必要だと常々感じています。印刷技術についても深い理解が必要で、さらに最先端の流行にも敏感であることが求められます。
書籍の構造の設計は、装幀家が本全体の構成プランを立て、使用する用紙の銘柄も指定します。印刷会社では、この指定を元に束見本(印刷されていない白い紙で実際に製本された本)を制作します。本のパーツは、カバー(ジャケット)、表紙、帯、本体(本文ページ)、見返し、扉ページなどの遊び紙の要素があり、それぞれに適した用紙が用いられます。
本の顔になるのがカバーデザインです。カバーには本のタイトルや著者名が入ります。中でもタイトル文字は、デザイナーが最も力を入れるパーツです。大森さんはタイトル文字の制作で、いろいろな手法を取り入れてきました。
手がけられた書籍をいくつか紹介していただきました。(写真3)の「エノケンと菊谷栄」のタイトル文字はオーソドックスなレタリングの手法で作られています。テーマや時代背景に合わせて、字体の細部を調整しています。変わりどころでは、「やさいおやつ やさいごはん」のタイトル文字ではユニークな手法が用いられています。本のテーマに合わせ、さつまいもに文字を彫刻して“芋版”を作成し、これを刷ってデータ化しているそうです。
本屋さんの店頭では、カバーと帯を組み合わせたデザインが、読者にとっては最初の出会いになります。帯には本の内容を紹介する簡潔なコピーや推薦文などが入ります。購入した後は帯をはずして書棚に保管されます。帯とカバーデザインのコンビネーションのパターンを見ていきましょう。
「匠たちの名旅館」は、丁度帯の位置にタイトル文字が入っていますので、帯ではタイトル文字を同じ位置に配置し、キャッチコピーを加えています。さらに帯を外すと、黒の顔料箔で印刷された漆黒のタイトル文字が表れるという仕掛けです。「流謫の波頭」は、タイトル文字にあしらわれた波頭のイメージが、帯では大海をイメージするブルーで表されています。帯の上部が波形に型抜きしているように見えますが、実際には直線の通常の帯です(写真4、5参照)。
大森さんの手がけられた書籍のタイポグラフィでは、中国や日本の木活字や金属活字をベースに創作されたレタリングの手法が見受けられます。中でもユニークなのが、中国の明、清時代の木活字の書体をベースにした文字の創作です。資料として利用されている書籍(写真6)と、実際に木活字をアレンジしてタイトル文字に使った書籍、「島津家の戦争」「大書評芸」の2冊を紹介いただきました(写真7)。木活字の文字はデジタル化されていないので、資料の文献から文字を探し、スキャン・トレースの加工を行って作字するそうです。
大森さんは、中国のブックデザインコンテストの審査員を務めることもあり、 中国を訪問した折りに木活字の資料を買い求めて収集されておられるとのこと。最近の中国のブックデザインは、経済の急速な発展に伴って活気があるそうです。デザインのみならず、製本・加工においても中国の伝統的な手法で造本されるものも多く、日本では見ることのできない製本技術を用いた書籍が次々に生み出されています。
大森さんが美大を卒業して仕事に就かれたのは、1970年代後半です。この頃の書籍の文字組みは活版印刷が主流でした。当時の活版印刷の書体見本帳を保管されているとのことで見せてもらいました(写真8)。文字サイズとピッチがわかりやすい短冊型の見本帳です。
この後、印刷方式がオフセット印刷に移行し、文字組みも写真植字が主流になり、1990年頃から徐々にデジタルフォントが普及し、PCで文字組みされるようになっていきます。半世紀の間に、文字組みの技術革新はすさまじいものがありました。この見本帳は当時の組版事情をうかがわせるもので、感慨深いです。
名刺デザイン、印刷指定、配色、アイコンについて
今回の名刺の制作では、活版印刷の魅力を存分に引き立てていただくようなデザインをお願いしました。厚手の用紙(クレーンレトラ オフホワイト 199kg)を利用し、空押しで強い印圧をかけてアイコンのイラストを表現しています。また、鮮やかな煉瓦色で小口染めを施しています。煉瓦色は名刺の一部にもワンポイントのアクセントとして利用されています。シンプルですが、力強い印象に仕上がっています。
入稿用のデータには、細かな印刷指定を書き込んで、印刷会社に渡しました(写真9、10)。オモテ面では、アイコンが空押しのHeavy Press、文字はMidium Press、ウラ面はLight Pressの印刷でお願いしました。1枚の名刺の中に3種類の印圧が含まれています。
空押しで表現したアイコンは、実は大森裕二さんの似顔絵です。特徴をよく捉えていているので、名刺を受け取った方はすぐに気がつくでしょう。活版印刷の素晴らしさに加えて、二度驚く仕掛けになっています。似顔絵は、手描きしたイラストをスキャンし、TIFFデータとして保存、Illustratorの台紙に貼り付けています(写真11、12)。
裏面は、ホームページと住所を掲載しています。今回は、名刺用に2種類のアイコンを作成しました。ホームページのアイコンはホーム(家)を模したようなデザイン、住所のアイコンは、オフィスのあるビルの形を模しています。判で押したようなかわいいアイコンですね(写真13)。
小口印刷で利用したカラーは、オモテ面の中で、ワンポイントのアクセントとして生かしています。指定色はPANTONE 179のオレンジがかった煉瓦色で、ビビッドな配色です。小口に表れる色も同じカラーで、名刺全体が明るい雰囲気になっています。他はスミ色なので、アクセントカラーとして効果的ですね。色指定は、Illustratorでパントンのカラースウォッチを利用して行っています(写真14)。
そのほか、お名前や住所に使われている書体はモリサワの「きざはし金陵 M」。この書体は、2017年にMORISAWA PASSPORTに追加された新書体。モリサワ社のホームページでは以下のような解説があります。
「中国・明代の南京国子監で刊行された「南斉書」を元に復刻した「金陵」と、1893年に東京築地活版製造所で印刷された「長崎地名考」を元に復刻した和字(かな)書体「きざはし」をマッチングした書体です。線画や骨格を画一的に整備した近代の明朝体とは一線を画す、正統派のオールドスタイルの明朝体です」。木活字好きな大森さんならではの書体です。
製版、印刷の工程
名刺の印刷は、CAPPAN STUDIOさんにお願いしました。亜鉛版でオモテ3版、ウラ1版の合計4版が作成されました(写真15〜18)。
印刷仕上がりを見てみましょう。オモテ面はMidium Pressで、印圧による凹みがはっきり表れています。ウラ面はLight Pressで、凹みは少なく、上品な仕上がりになっています(写真19〜21)。
使用した用紙はコットン100%配合の「クレーンレトラ オフホワイト」。自然でやわらかな風合いがあり、活版印刷や箔押し、空押し、浮き出し加工に最適の用紙です。
ウラ面の一部を拡大してみましょう(写真22、23)。活版印刷では、印圧を弱めにして凹みを抑えて刷る技法も人気があります。薄手の用紙の場合は、圧をかけないで刷る方がよいでしょう。今回使用した「クレーンレトラ」は表面が柔らかで、Light Pressでもわずかに凹みが感じられます。
空押し、小口染めの加工
空押し部分を見てみましょう(写真24、25)。空押しは、インキを付けないで凸版を紙の上からプレスし、用紙表面を凹ます加工です。また、凸版と凹版で上下からサンドイッチ状にプレスして表面を浮き出すエンボス加工、逆に凹ますデボス加工もあります。
空押しについて、CAPPAN STUDIOさんに解説していただきました。「弊社では、凸版凹版を使用して浮き出しを再現するエンボス加工と、凹ますデボス加工を行っています。空押しは凸版のみで印圧を掛ける再現方法です。凹版凸版を使用するエンボスから比べると、空押しは凹凸のメリハリは弱く感じますが、空押しは裏面に干渉したくない時などに良いかと思います」
次に小口染めの部分を見てみましょう(写真26、27)。厚手の用紙では、小口染めを利用すると効果的であることがわかります。
小口染めについて、CAPPAN STUDIOさんは次のように語ります。「弊社では手作業で小口染めを行っております。弊社ではDICやパントンのチップで色指定が可能です。また、名刺ケースの中で小口染めの部分が擦れ合っても、汚れにくくする独自の加工を施しております」
印刷を終えて大森裕二さんは語ります。「名刺は、基本的に「会う人」に「手渡し」するもの。営業の最初のキッカケです。名刺というモノと同時に人間性が伝わる大切な出会いの場となります。捨てられるモノより、気に留めてもらえるモノの方が、会話も生まれますし相手に印象深く残りますよね。それが名刺の使命だと思います。そんな想いを込めて今回作ってみました」
今回の活版トライアルを通じて、カードデザインは奥深いものだとつくづく感じました。華美な装飾がなくても、センスとアイデア次第でこんなに力強いメッセージを発することができるのですね。文字、アイコン、イラスト、レイアウト、配色、用紙、印刷、加工……どれをとっても素晴らしいです。
では、次回をお楽しみに!