白石奈都子
文字の色
墨と筆で文字を書いていた日本では、文字=黒というイメージが自ずと刷り込まれている。
一方、万年筆でブルーやブルーブラックのインクで書いていた欧米や、統治の歴史を持つ国々ではペンの色といえば青らしい。青で書くことで「コピーではない」という証明でもあるそうだ。
日本の墨は、文字や筆、紙同様に中国文化から生まれた文房具の一つである。ある一説では、文字と同じ頃に唐より伝来したと言われている。一見、同じような墨も、日本では独自の製法で発展し、「和墨」「唐墨」として区別されるようになった。
日本の気候風土、水、和紙として新たな進化を遂げた紙に合わせて進化したとも云われている。
墨は、煤と膠と竜脳。膠の匂いを消すために香料として竜脳を使っている。
和墨と唐墨は、その煤と膠の配合比率が異なるため粘度に差があり、しかも、軟水の日本の水と、硬水の中国ではそれぞれの墨で色の出方も異なるとのこと。水、恐るべし。
和墨と唐墨では製法が違うので色が違う言われてはいるが、実際に私が墨を選ぶ基準は日本の職人が作った道具を使いたい、という思いと色味や滲みの色合いで選んでいた。
ある日、墨屋に行った際に「色が多い」と感じた。いつもの移り気からなのか、花鳥風月を感じられる歳頃になったからなのか、は不明だ。謂わば墨の黒、淡墨の淡い墨色である。黒と灰色の世界だ。
だが、その中にも微妙なの色調が存在する。濃、淡、滲、際、一つの墨で幾つもの顔があった。和墨は日本で進展した仮名文字の繊細な表現に呼応できるように進化した、という言葉が理解できる。
日本人の色に対する感覚表現は無論、墨だけではない。
平安朝の人々はを衣装を着重ね、装束が重なり現れた色の調和を襲の色目(カサネノイロメ)と言い、愛でていた。いわゆる十二単(ジュウニヒトエ)だ。
表裏の色の対比、薄絹から見える光の透過と色の調和、襟元や裾に流れる色、色の調べを通して四季の自然を衣装の色に映そうとしていたそうだ。
季節や表現により襲の色の構成を変え、自然を表現していた。
だが、インクの色はどうだろう。日本にはどう言うわけか数多のペン、インクがある。
平安女子が現代で種々のインクを見たら、果たして四季折々でどんな色で文を綴るのだろうか。
現代日本人の衣装では襲の色目は楽しみにくいが、インクの色で各々が感じる四季を映し出すことはできそうだ。
私もそろそろ、墨とインクで春を綴ろうか。