白石奈都子
ミャンマーの紙漉
世界中の紙を見たい。
まだ異国の地に未踏の頃、思い描いた夢である。
外国に行く目的はそれぞれであるが、可能な限り紙に関わる工房を見に行く、その国や土地の紙を一つは買おうと思っている。
数年前、ミャンマーを訪れた際にニャウンシュエという町に行った。インレーという大きな湖があり、その湖上で生活を営む部族が紙漉をしているとのこと。その旅の最大の目的になった。
湖上の集落には、畑、家、店、銀細工や織物工房などが点在し、多くは農業や漁業で自給自足をしている。トマト畑もある。中には、観光客に向けた工房やお土産屋もあり、織物の工房では湖上のロータス(蓮)の茎から紡いだ糸で織物を作っていた。紙漉工房もその一つであった。
行った時は6月初旬で、雨季に入り始めていた。船に乗ったら雨が降り出し、工房に着いた頃にはモンスーン特有の大雨になった。紙漉もやっていなかった。
(写真1)は、その工房の漉き舟のひとつ。溜め漉きである。
日本でも見慣れた、楮らしき束が置かれていた(写真2)。当時は今よりもっと英語が話せず、詳細を聞けなかった自分を悔やむ。もしやこれも湖上で栽培したのだろうか。
ミャンマーは他の地域でも紙の工芸品があったので、手漉きをしているところが各所にあるのかもしれない。近年の発展と共に変わりゆくミャンマーで、紙漉の文化が残っていることを願う。
どんなにペーパーレス・キャッスレス化が進んでも、どの国でも大抵、紙幣だけはある。どこに行っても現金至上主義の店はあるし、異国に行って現地通貨をもたずに動くのはさすがに怖い、と思うのは私だけではなかろう。
家にある外貨を見ると旅路を思い出す。異国の空港に降り立ち、両替所で渡された見慣れぬキレイな紙幣は、身も心も旅馴染むに連れて日常が染み込んだ紙幣に変わっていく。
現地の言葉が書かれたメモにされたもの、かわいいニコニコマークが書かれたもの、少しの衝撃でバラバラになるのではと思うくらい揉み込まれ、数字が見えないくらい生活感のある深い色合いを伴った紙幣にも、次第に愛着を覚えていく。そして、日本の紙幣の丈夫さを実感する。
日本で生活していると、きれいに折り筋がついたものや、使うことで自然な柔らかさを帯びた紙幣はあるが、眼を凝らさないと判別が難しいような紙幣には滅多に出会うことはない。流通や文化の違いもあるが、和紙の底力を思わせる。
10年以上前、ある和紙関係の方とお話しした際に「キャッシュレス化で紙幣用の楮の出荷も少なくなっている。いつか日本の楮と三椏は無くなるかもしれない」と、ぼそっと呟いた。
更に紙漉の形も変わりつつある現代で、時代に合わせた進化と発展が必要なこともあれば、守るべきものもある。
改めて思う。和紙だけでなく他国の紙において、守るべきものに今何が必要か、今の自分に何ができるか、現状と今後の課題向き合いたい。