生田信一(ファー・インク)
木版画調の型染図案を配したショップカード&名刺
今回のコラムは、創業明治17年より三代続く、東京 神田神保町の大和屋履物店のショップカード、さらに型染作家 小倉充子さんの小倉染色図案工房の名刺を活版印刷で仕上げる工程を紹介します。
小倉充子さんの工房は、最近、神田神保町に引っ越したばかり。工房の移転を案内するはがきや名刺を活版印刷で作りたいとのことで、今回はじめて活版印刷にトライしていただきました。
小倉充子さんが手掛ける型染の図案は、どれも江戸情緒に溢れています。江戸の風景や人物、動物などをモチーフにした図案は木版画調のタッチでとても素敵です。粋であり、力強い線画が魅力で、私もかねてからのファンでした。
取材してお話しを伺うと、型染めでは独特な技法があることを知りました。こうした技法が名刺のデザインの中でも生きています。どのように図案が作られたのか、活版印刷名刺の制作プロセスを紹介しながら見ていきましょう。
大和屋履物店と小倉染色図案工房
大和屋履物店は下駄や草履などを扱う専門店です。町内では、通称「角の下駄屋」と呼ばれているそうで、庶民的で親しみやすい店構えです。店頭には下駄が並び、道行く人の目を誘います。神田神保町は、新刊や古本の書店が立ち並び、近年では再開発が進み近代的なビルも増えていますが、ビル街を歩いていると、古風なたたずまいの下駄屋さんがひょっこり現れるので、驚く人も多いのではないかと思います(図1)。
お店を覗くと、店内には履物や手拭いが陳列されています(図2〜6)。取材を通じて、手拭いや下駄の花緒の多くは小倉充子さんが図案を手がけていることを知りました。お店自体が素敵なショールームになっています。神保町に立ち寄った折りには、ぜひのぞいて見てください。
お店の近くに小倉充子さんの仕事場である工房があります。ビルの一角ですが、この場所で図案や染めの工程を作業できるように内装を整えているところでした。壁面を利用して、型染に必要な道具が機能的に並べられています(図7、8)。
型染の図案の制作工程
今回作成した名刺にもあしらわれている図案は、どのようにして作られているのか、強い興味を抱きました。その制作プロセスを小倉さんに解説していただいたのですが、斬新な発想で絵柄が作られていることがわかりました。
絵柄は木版画調で、力強いタッチの線画が魅力になっています。この筆致を得るために、下絵を起こした後、実際に版木に彫って仕上げているとのこと。つまり、浮世絵の工程に沿った方法で図案を仕上げているのです。最初に版木を彫る工程について小倉さんは次のように話します。
「版木を彫るのは、浮世絵など木版が好きで、図案の線に彫り味を出すためですが、同時に、染めの型紙を制作する際にどこをカットしてどこを残すのか、この段階で頭を整理する役割もあり、重要なプロセスなのです」
版木全面に墨を塗り、彫刻刀で図案を彫り、絵柄を完成させます。版木をそのままスキャンして、細部をPhotshopで加工したり、レイアウトを修正したり、カラーカンプを作ったりします。出来上がった図案を専用の型紙に転写し、型彫り用の刀で彫り(カットし)、染めの型紙(版)を作成します。型染用の図案で、工程を紹介していただきました(図版9〜11)。
木に彫る工程を経ずに図案を仕上げる方法もあるとのこと。今回作成した名刺には4つの絵柄を新たに描き起こしているのですが、元絵を拝見すると、黒い紙に白のジェッソで描かれています(図12)。絵柄が黒で残るよう、白で描いていくのですが「黒を残して描く作業は、版木を彫刻刀で彫る作業に相当する」と説明してくれました。こうすることで、「木版の場合と同じ要領、感覚で線を起こしていくことができる」そうです。
ショップカード、名刺のデザインと刷版の作成
ショップカードと名刺のデザインは、出来上がった図案を1,200ppiでスキャンし、モノクロ2階調のデジタル画像に変換してIllustratorに取り込まれています。印刷用のトンボを作成し、絵柄を配置、さらにこれらを組み合わせて、文字やロゴを追加しています。
ショップカードの大和屋履物店のロゴは、Illustratorのパスでできています。ロゴの下にお店の所在がわかる地図を配置。ロゴマークは一部を特色で色指定し、ショップカードのアクセントになっています。データが出来上がると、印刷を手掛けるCAPPAN STUDIOさんに入稿、色分けした2つの亜鉛版が作られました(図13〜15)。
ショップカードの裏面は、上部には小倉さんが手がけた蛸の手拭いや下駄の絵柄を配置、お店の住所、連絡先がレイアウトされています(図16、17)。蛸の手拭いはショップで購入できます。
工房の名刺の表面は、工房のロゴと刷毛のイラストを配置、特色を指定しました(図18、19)。工房のロゴは、今回新たに作り直したそうです。活版印刷に合うように手描きで細部を加工しているとのこと。刷毛の図案もかわいいです。
工房の名刺の裏面は、神田名物の寿司と蕎麦のイラストをあしらって、アクセス先を配置、刷色に特色を指定しました(図20、21)。江戸の風情を思わせる絵柄で素敵です。寿司ネタが緻密に、蕎麦の麺は一本一本が丁寧に描かれていて、こだわりが楽しい図案です。
今回作成した図案は細かい線画です。亜鉛版の製版で、どのように再現されるのかを見てみましょう。小倉さんへは、データ作成に取りかかる前に、0.1mmの線幅が活版印刷で再現できる限界であることを伝え、データ作成時に配慮していただきました。出来上がった亜鉛版を拡大してみると、細部まで精緻に再現できていることが確認できます(図22〜25)。
用紙の選択、印圧の指定が活版印刷らしさを表現するポイント
今回使用した用紙は、羊毛紙(四六版250kgの厚み)です。 羊毛を配合した、ざっくりとした手触りが特長の紙です。紙の繊維が長いので、オフセット印刷には不向きで、活版印刷や箔押し、空押し等の加工に向いた紙です。
印刷をお願いするCAPPAN STUDIOさんでは、印圧の加減を3段階で指定することができます。この名刺では、表面のロゴを強く強調して活版印刷らしさを表現するために強い圧(ヘビープレス)を指定しました。裏面は表面の強い圧により印字面の凹凸が生じること、さらに紙の厚みも考慮して、中間の圧(ミディアムプレス)でお願いしました。この判断は難しく、今回の印刷発注で一番悩んだところでした。CAPPAN STUDIOさんは、印圧について次のように語ります。
「今回は両面印刷でしたので、裏面への凸凹の干渉具合を注視しながらセットしていきました。弊社では印圧をライト、ミディアム、ヘビーと3段階を目安にしています。ステーキの焼き加減でいうレア、ミディアムとよく似て、あくまで目安です。現場では、印刷物1点1点ずつ紙質、版材、デザインの内容によってすべて設定を変えていきます。小倉さまの絵柄は繊細な上、ベタ面も含まれている点で難易度は高かったです」
両面印刷で印圧を強くした場合、互いの干渉をどの程度まで許容するか、発注者も印刷を受ける側も注意する必要があります。CAPPAN STUDIOさんは次のように話してくれました。「裏面への干渉具合は、お客さまそれぞれで感じ方が違うように思います。現場側ではどうしても無難な方に設定するため、裏面への干渉具合は少ないけれども、印刷面の凸凹が少なくなってしまうということがよくあります。長いお付き合いがあり、お互いの気心が知れてくると、ご指示頂く内容も、私共の仕上がりもご希望に沿うようなってくると感じています」
小倉さんは最後の段階で、表裏ともできるだけ強い印圧でいこうと決断されました。微妙な調整のさじ加減は現場の技術者に任せるしかありません。こうしたやりとりは、印刷の世界も、染色の世界も同じなのかもしれません。仕上がりは以下の通りです(図26〜33)。
印刷仕上がりを見て、小倉充子さんは語ります。「私は現在、布を主な媒体に仕事をしていますが、もともと大学はデザイン科出身で、ずっと紙には強い興味がありました。特に活版印刷は木版にも近いと感じ、いつか何かをやってみたいと思っていたので、今回経験させていただけたのは本当に嬉しく、光栄でした。こんな細かい図案をこれほど美しく仕上げていただき、感激しております。活版、最高に楽しく、今後作ってみたいアイテムのイメージも際限なく広がっています。本当にありがとうございました」
今回の活版印刷のトライアルは、ワクワクする経験の連続でした。染色図案家の小倉充子さんと、活版印刷の製版・刷りの技術とが融合して、胸踊るような印刷仕上がりになったと思います。
では、次回をお楽しみに!