生田信一(ファーインク)
個展「植物標本と活版印刷」を訪ねる
2018年9月20日〜29日、東京都新宿区矢来町にあるギャラリーondo kagurazakaにて、ALBATRO DESIGN 猪飼俊介さんによる「植物標本と活版印刷」と題した展示が催されました。
私は、7月末に行われた「活版TOKYO 2018」のブースで、ALBATRO DESIGNさんの精緻な活版印刷カードを拝見し、一目見てファンになってしまいました。ブースでお話しさせていただいた際に、9月に神楽坂のギャラリースペースで展示を行うことを聞き、楽しみにしていました。
ギャラリーondo kagurazakaでは、植物標本と合わせて、活版印刷で刷られたカードを多数展示する構成でした。書店の奥にあるギャラリースペースに足を踏み入れると、異空間に迷い込んでしまったような不思議な感覚を覚えました。美しい植物標本に囲まれると、幼い時に野山を散策した記憶が掘り起こされ、懐かしい風景が甦ってきます。
さらに植物標本のモチーフは、猪飼さんの手によりグラフィック作品に昇華され、活版印刷で印刷されたカードや書籍になって再現されています。記憶が揺さぶられるこの魅力はいったい何なのでしょう? 一緒にギャラリーを覗いてみましょう。
8ミリのガラスの中に封じ込められた葉、花、芽の植物標本
ondo kagurazaka ギャラリーは、書店「かもめブックス」の奥にあります。書店の入り口には開放的なカフェが併設されており、本好きにはたまらないスポットです。私の仕事場から近いので、散歩のついでによく訪れるのですが、長居すると知らぬ間に大量の本を買い込んでしまう危険な空間でもあるのですが。
今回のコラムでは、展示風景をフォトグラファーのスズキアサコさんにお願いし、撮影していただくことにしました。以下に掲載する写真を通じて、私がギャラリーを訪れた時に感じた不思議な空気感をお伝えできるのではないかと思います。
まず、ギャラリーの全体写真です(写真1、2)。本屋さんの奥に展開された不思議な空間を感じ取っていただけると思います。入口の展示や作品を閲覧する導線が見事です。本屋さんに訪れた方は、植物標本の世界の中に自然に入り込むことができる構成になっています。
ギャラリーで真っ先に目に入るのが植物標本です(写真3〜5)。採取された植物が、ガラスの中に封じ込まれ、見る者に語りかけます。ガラスの中には、キャプションの小さな紙片が埋め込まれています。このキャプションは和紙に活版印刷で刷られ、商品ごとに識別できるようナンバリングを押しています。押し花のようにも見えますが、実はガラスでできた情報のプレートであることに気づきます。
植物の標本はガラスの中に密閉し、空気に触れさせないことで、保存状態を高め、全体を透かして見たり裏側まで観察できる資料的価値があります。本棚に収納する際に便利なように紙製のブックカバーが付属し、さらに真鍮製のスタンドのアクセサリーも用意されています。
植物の葉を封じ込めた標本は、葉脈の形状の美しさが際立っています(写真6〜9)。自然界で育った植物が作り出す独特の文様やパターンはこんなに魅力的だったのかと改めて驚かされます。葉脈の形状は、私たち人間の体の血管や神経細胞(ニューロン)の構造を彷彿させます。植物と動物とでは、その構造や機能に違いがありますが、自然界に現れる文様やパターンは独特の構造を持っていることに気付かされます。
ギャラリー会場では植物標本のカタログを入手することができました(写真10)。しかしながらこの植物標本は、まったく同じものは存在しません。作品との出会いによってのみ入手することができる「唯一無二」の作品なのです。
活版印刷による複製とグラフィック表現
私は、展示が行われる数日前にAlbatro Designの猪飼俊介さんのお仕事場を訪問し、お話を伺いました(詳細は次回のコラムでご報告したいと思います)。猪飼さんのお仕事のフィールドはグラフィックデザインです。ギャラリーでは、猪飼さんが手がけられたグラフィック作品や、自ら活版印刷で印刷したカードやコンセプトブックの書籍も展示・販売されていました。
グラフィックデザインのお仕事では、図画を作成し、さまざまな媒体を使って複製を行います。猪飼さんは複製のために活版印刷機の設備を仕事場に多数揃え、さまざまな印刷実験を行っています。ギャラリーの展示では、植物標本からインスパイアされたグラフィック作品が展示されていました。その一部をご紹介しましょう。
展示の中でひときわ目を引くのは、活版印刷に使用された亜鉛版です(写真11〜15)。金属の凹凸で再現された鮮やかな版は、それ自体が工芸品と思えるほどのアート性に富んだ魅力を放っています。
グラフィックの図案は、植物の形状を精緻にスケッチしたものや、植物がもつ独特な形状が生み出すパターンや文様をデフォルメして表現したものもありました(写真16〜18)。植物の形状がもつ特徴について、「SEED」という作品の解説の中で触れていました。以下に抜粋します。
「SEED。DNAによって、人間はどのように成長するかが決定しています。同様に、植物の成長にも法則はあり、例えば、植物の枝分かれや花弁の数は、「フィボナッチ数列」に準じています。つまり、種子の段階からプログラミングされているのです。ただ、プログラムに抵抗するように、自分の形状を変化させながら、光を求めて伸び続けている植物を見つめていると法則と本能、どちらが人生により影響を及ぼすのか?と考えてしまいます」
また「UNSTOPPABLE」と題した作品は、“永久機関”をテーマにしたビジュアル作品。18世紀の科学者、技術者たちが追い求めた動き続ける永久機関の装置をグラフィックで表現しています。しかし、18世紀の終わりには永久機関は純粋力学的な方法では実現不可能だということが明らかになりました。人類が追い求めてきた自然界と物理法則というテーマが見て取れるユニークな作品になっていて、興味深かったです。
植物のモチーフを題材にして作られたカードやガイドブックを見てみましょう(写真19〜22)。“植物標本と活版印刷”のテーマをまとめたガイドブック「CONCEPT BOOK with letterpress technique」は、印刷、製本ともに鮮やかなアートブックに仕上がっています。
印刷されたものを手にしたときに思うのは、活版印刷特有の「ゆらぎ」が作品の魅力を高めているのではないかということです。活版印刷では多くの人の手による加工や調整の工程を経て作られるため、刷り上がったものを手にした時に「唯一無二」の印刷物であるという感覚を味わうことができます。このことは、植物も動物も決して同じように成長することはなく、個々に個性が表れることに通じるのかもしれません。
私個人の体験になりますが、昭和30年代生まれの私には、活版印刷に触れることで、幼い時に触れた書物や印刷物の記憶が甦ります。それは幼い時に小さい手で握りしめていた鉄道のきっぷ(硬券)であったり、遊園地を訪れたときの入場券であったり…。人の記憶を掘り起こす装置としての活版印刷。情報ではなく、「モノ」としての記憶です。若い人はまた別の感情を抱くのかもしれませんが、印刷物はその人が生まれ育った時代を映すものとして私たちの記憶に定着してることを思わざるを得ません。
展示を終えて、ALBATRO DESIGNの猪飼さんからメッセージをいただきました。最後にご紹介します。
「弊社ALBATRO DESIGNでは、デザインによる“掛け算”で新しい価値を作るというコンセプトでグラフィックデザインを軸に実験的な活版印刷や植物標本、プロダクトデザインなど幅広く活動しています。今回の展示は友人のtriplet design inc.の代表デザイナー大森さんと協力し合い、「植物をテーマに活版印刷で本を一冊作る」という目標で昨年より推し進めてきました。植物×活版という掛け算が今回の展示の方程式になっています。植物と印刷、人と人の出会いで生まれる、ゆらぎのある作品達を今後ともお楽しみください」
ALBATRO DESIGN 猪飼さんの生み出すプロダクトや作品は本当に素晴らしく美しいです。展覧会やイベントなどで間近で見ていただくと、その精緻な仕上がりと奥深さに驚嘆すると思います。今後の展開がとても楽しみなギャラリー展示でした。
では、次回をお楽しみに。
[ALBATRO DESIGN・プロフィール]
ALBATRO DESIGNはグラフィック、活版印刷、プロダクト、空間までデジタルとアナログの両視点から新しい価値を生み出す、東京を拠点に活動するデザインスタジオです。
ALBATRO DESIGN is a Tokyo-based design studio that projects new value through specific multilateral perspectives that are derived from a range of analog and digital skills that include letterpress printing to graphic product and space design.