白石奈都子
旅と筆
このところ、何かと筆と縁がある。
旅先で何気なく行った筆屋さんで、今の自分が必要とする良筆に出会う。
最近一番の新入りは、奈良筆の「雪椿」という筆だ。
縁あって「奈良筆 田中」という工房に伺った際に、一目惚れして買ってしまった。
田中さんは個人で活動されている女性の奈良筆伝統工芸士で、田中さんの筆は細部に至るまで手作りで作られている。
筆の産地はまだ国内にも10箇所弱ほど残っているが、職人不足は他の伝統工芸品同様に課題の一つである。特に書筆は、使用人口も激減しているので、より深刻だ。
だが、筆業界も日本の筆の製造技術を生かした次の担い手として化粧筆などを作っているのは、ご存知の方も多いと思う。なんでも、日本の筆の技法で作った化粧筆は品質が良く、肌あたりも格別、国内外で人気らしい。日本の筆の技術が認められるのは嬉しいが、やはり書筆を使う身としては切なくなる。では、書筆は日常で使うか?と問われれば、私もはボールペンや万年筆などを携帯し、使用している。懐中筆という穂を軸に収められる筆もあるが、手帳に筆を挿して墨をつけて…なんていうことは私もしないだろう。
以前所用で京都に行った際に、また偶々入った京筆の店主が筆の現状を話してくれた。
職人も少なくなったが原料である獣毛の品質も様々な要因で品質が落ちており、この先もどんどん落ちていくと嘆いていた。30年前の獣毛と今のものでは格段の差があるらしい。その店でも以前良よりいい原料が入手できた時などに備蓄して作っているとのこと。30年後はもっと悪くなるから、今のうちにいい筆があったら買っておいたほうがいい、と言われた。その時、祖母が遺した50年ほど前の筆を使った際に感じた感覚や、子どものころにつかっていた筆をおぼろげに思い出した。高級品では無かったが、きっとあの筆も今の筆からしたらいい筆なのだろう。
そんな助言もあり、いい筆に出会った時は買うようにしている。
その筆は、穂先の利き方はもちろん、腰の強さとしなやかさが丁度欲しかった塩梅で、そしてどことなく女性らしい趣きがある、美しい筆だった。
竹の模様と前骨・尾骨の色合い、シルエット、「雪椿」という名に相応しい。
いつもは穂はもちろん、筆管(軸)は手との相性、太さ、長さを気にしていると、ここまでで概ねのエネルギーを使ってしまうので見目は僅かな余力で選んでいるか、気にしないことも多々ある。だが、今回は器量美しを見つけるまで、筆選びを楽しんだ。
筆架(ひっか)と呼ばれる台に筆を掛けているが、何気なく視界に入った時も可愛らしいなと思いながら暫し眺めている。使うほどに深みも出るであろう。楽しみだ。
学生の時分に中国へ行った時、やはり一目惚れした筆がある。
蛇らしき革を纏った、サイズ違いの2本組だ。
旅の勢いもあり試筆もせず買ってしまったのだが、思いの外いい筆であった。唯、当時の私には穂が柔らかすぎて書きこなせず、長年の間、極偶にしか使っていなかった。
先日、久々に手に取ってみた。柔らかいが書き心地や筆跡は好みである。
が、いかんせん手触りがザラリとしている。色々と想像がよぎる。
やはり筆は竹がいい。