白石奈都子
水無月
「梅雨に入る」と聞いて、喜ぶ日本人は恐らく少ないであろう。無論、私もその一人だ。
五月。
東京のこの頃は、程よい気温で晴れる日も多く、気持ち良く過ごせる日が多い。
そして梅雨に入る前の貴重な季節でもある。
先頃より、自分で礬水引きをしているのだが、紙と礬水の作業は天気の良い日にやりたい。
五月は紙と膠と私にとって、実にいい季節である。可能な限り紙と膠に捧げたいくらいだ。
雨が多くなり、緑が濃くなってくると、雨の香りがしてくる。
そして梅雨は長い。
必要な季節であることも承知ではあるが、何かと気難しい。
気温も湿度も高くなるので、紙漉の紙料も腐りやすく、漉いた紙はなかなか乾かない。しかも私がこれから作りたいのは厚手なので、尚更だ。
紙は水分を吸って膨らみ、膠は黴が生えやすくなる。
かと言って、熱風などで急激に乾燥させると紙にも膠にもよくない。まさに菌との戦いである。
先日、とある講義で膠と日本や東洋美術とその風土についての話があった。
膠は、温湿度により液体・固体と可逆性があるが、その特性が日本やアジアの湿気には適しているとのこと。膠がたくさん含んだ水分を保持し少しずつ吐き出してくれるので、絵具が割れずにいられるらしい。和紙も膠も、雨が多く乾湿や温度差のある日本において、いかに身近で必然であったと、改めて肝に刻んだ。
水無月(みなづき)とは、六月のこと。「無」は「の」の意なので、「水の月」とも言われる。
水の月と聴くと、不思議とあの纏わりつく湿気を感じないような気がする。
私の愛しむ和紙と膠も、水の月なら好きになってくれるかもしれない。
あの水気を含んだ憂のあるグレイな空も、その元に育つ植物の様も美しく、実は好きな景色でもある。
今年の水の月は、五月と同じくらい慈しもう。