生田信一(ファーインク)
《特別展》発表120年記念 『吾輩ハ猫デアル』に行ってきました

今回のコラムは東京都新宿区にある漱石山房記念館で開催された『吾輩ハ猫デアル』特別展をレポートします。『吾輩は猫である』は、明治期に書かれた夏目漱石のデビュー作品です。明治38(1905)年1月1日、雑誌『ホトトギス』に読切作品として掲載されました。
この作品は漱石の代表作であるのですが、改めて触れてみて驚かされるのは、120年前に書かれた作品であるにもかかわらず、現代の私たちに読みやすくわかりやすい文体で語りかけてくることでしょう。話されている内容は、主人公の珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)先生の飼い猫の視点から、人間社会や猫社会を観察しているのですが、これらの語り口調がとにかくおもしろく、惹きつけてやみません。
漱石山房記念館では、『吾輩ハ猫デアル』発表120年記念というタイミングで特別展が企画されました。そこでこの漱石作品の魅力を改めて考えてみたいと思います。絶好の機会です。いっしょに覗いてみませんか。
《特別展》「吾輩ハ猫デアル」のパンフレット・図録より
以下は、《特別展》発表120年記念 『吾輩ハ猫デアル』の概要です。
[概要]
《特別展》発表120年記念 『吾輩ハ猫デアル』
開催期間:025年10月11日~2025年12月7日
開催時間:午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)
会場:漱石山房記念館 2階資料展示室
休館日:毎週月曜日(祝休日の場合は翌平日)
観覧料(通常展):一般300円、小・中学生100円 ※特別展の場合は料金が変わります
URL:https://soseki-museum.jp/tenji/12423/
(写真1、2)は《特別展》「吾輩ハ猫デアル」のパンフレット。パンフの表面は書斎に座る漱石の写真が大きく配置されています。裏面は、展示されている資料の一部が紹介されています。

(写真1)パンフレット表面。

(写真2)パンフレット裏面。展示されている関連資料の一部が紹介されている。①夏目漱石『吾輩は猫である』11章 原稿(虚子記念文学館蔵)、②夏目金之助 小宮豊隆宛て書簡 明治39年8月28日付(みやこ町歴史民族博物館蔵)、③「猫の死亡通知」夏目金之助 松浪東洋城宛てはがき 明治41年9月14日付(館蔵)、④『吾輩ハ猫デアル』上編(斉藤阿具宛て献呈本)表紙見返し(文京ふるさと歴史館蔵)、⑤菅虎雄書「我猫庵」扁額(博物館明治村蔵)
(写真3)は本展示の論考、コラムなどを収録した展示図録です。貴重な資料が満載の、入手しておきたい資料集です。主な目次は「第一章『吾輩は猫である』の誕生」、「第二章「猫の家」の周辺」で構成されており、写真資料が充実しており、見ていて楽しいです。

(写真3)《特別展》発表120周年『吾輩ハ猫デアル』展示図録。『吾輩は猫である』が掲載された雑誌『ホトトギス』全10冊の該当ページ、漱石の自筆原稿、高浜虚子宛てに書かれた書簡、単行本の書影や挿画、新聞広告などの資料を集めています。A4判、48頁、価格:1000円(税込)、発行年:令和6(2024)年
(写真4)は令和元年に催された《通常展》「高浜虚子没後60年 漱石と高浜虚子 ‐「吾輩は猫である」が生まれるまで‐」の図録で、今回の特別展でも入手できました。『吾輩は猫である』の誕生を語るには、高浜虚子の存在が欠かせません。『吾輩は猫である』は雑誌『ホトトギス』の編集人である高浜虚子が、ロンドンから帰国した夏目漱石に、雑誌『ホトトギス』に短い文章を書いてみないかと勧めたことがきっかけでした。
『ホトトギス』同人たちの間で催されていた“山会”と呼ばれる文章会で、漱石が書き上げたばかりの『吾輩は猫である』が朗読されて披露され、雑誌『ホトトギス』の明治38年1月号に掲載されました。この文章が人気を呼び、最初は1回きりの掲載予定だったのですが、2回、3回と連載が続き、最終的に上中下3冊の単行本が刊行されるまでに至ったということです。

(写真4)『漱石と高浜虚子 ─「吾輩は猫である」が生まれるまで─』展示図録。A4判 42頁、価格:500円(税込)、発行年:令和元(2019)年
漱石山房記念館の周辺
2025年11月3日の文化の日に、漱石山房で特別観覧ツアー+ミニ講座が企画されました。筆者の仕事場は漱石山房から近く、自転車で出かけることにしました。
漱石山房は、明治40(1907)年から大正5(1916)年に、漱石が亡くなるまで過ごした場所で、現在は、その地の一部が「新宿区立漱石公園」になっています。東京メトロ東西線の早稲田駅から徒歩10分くらいの距離で、周囲は閑静な住宅街で、筆者にとってはお気に入りの散歩コースになっています(写真5〜7)。

(写真5)
(写真5〜7)漱石山房に隣接する漱石公園は緑に溢れた落ち着いた造りで、漱石公園を象徴する芭蕉(バショウ)や木賊(トクサ)は現在の記念館にも植えられています。

(写真6)

(写真7)
公園を散策すると、「猫の墓」や猫のシルェット、足跡を見つけることができます(写真8〜10)。

(写真8)
(写真8〜10)漱石山房の敷地になる漱石公園では「猫の墓」を見ることができます。「猫の墓」は、1945(昭和20)年の空襲で瓦解しましたが、現在の塔はその残欠を利用して再建されたものとのこと。

(写真9)

(写真10)
漱石の書斎を再現する
漱石山房の1階では、漱石の書斎やベランダを再現した展示を見ることができます。また2階では資料展示室があります。書斎の家具や書籍は、当時の様子を再現して作らているとのこと(写真11〜13)。

(写真11)
(写真11、12)書棚や床に積まれた洋書がリアルです。これらは東北大学附属図書館の協力のもと、同館の「漱石文庫」の蔵書の背表紙を撮影して製作したものとのこと。

(写真12)

(写真13)「漱石山房の記憶」パネル。戦争で消失する前の漱石山房の外観や書斎、客間、玄関の様子を写真で紹介している。
猫のイラストがお出迎え
2階に上がる階段では、猫のイラストが迎えてくれました。階段を登っていくと、その壁面に、主人公の猫が漱石の家に居付くようになったいきさつやエピソードが語られています(写真14〜18)。

(写真14)
(写真14〜18)2階に上がる階段の壁面では、猫のイラストが迎えてくれました。猫にまつわるエピソードが楽しい展示です。

(写真15)

(写真16)

(写真17)

(写真18)
筆者が『吾輩は猫である』に最初に触れたのは、はるか昔の記憶ですが、学校の国語の授業の教材であったと記憶しています。子どもながら爆笑したのは、猫がお餅を食べて踊るシーンでした。猫がお餅を噛みきれず、2本足で立って踊るシーンは、何回読んでも笑えます。
つい先日、漱石の妻が語る『漱石の思い出』(夏目鏡子 述、 松岡譲 文、文春文庫)を読んだのですが、『吾輩は猫である』に登場する猫のエピソードは、実際に起きたものが元ネタになっているものが数多く含まれているようです。猫がお餅を食べて踊るシーンも実話のようです。また寝ている間に泥棒の被害に合った話も本当だったとのこと。数々の災難を小説のネタにして笑いに変えてしまうところが、たくましい(転んでもただでは起きない)というか、痛快ですね。
漱石の文学作品から選ばれた至極の言葉
2階の通路の壁面では、漱石の文学作品から選び抜かれた数々の言葉に触れることができます(写真19、20)。
小さなパネルでは、目を凝らさないと読めないものもあるのですが、解説を読むと「最も小さいパネルは、漱石の主な作品の初版本の判型「菊半」と、その文字の大きさを示しています。ご了承ください。」との注意書きがありました。まるで小説を読むような気分で漱石の世界に浸ることができるます。なるほど、と納得しました。

(写真19)
(写真19、20)漱石の言葉の展示。

(写真20)
『吾輩は猫である』を注意深く読むと、当時は激動の時代で、日清・日露戦争の社会情勢を反映した記述が見つかります。たとえば、猫がネズミを捕まえるシーンでは、当時のアジアの戦局が反映されていたりします。『吾輩は猫である』が雑誌『ホトトギス』に発表されたのが明治38(1905)年で、この年は日露戦争が終結した年であることと符合します。
また、漱石の執筆のスピードにも驚かされました。初期の代表作『坊っちゃん』は、資料集によると、『吾輩は猫である』の10章が『ホトトギス』9巻7号(1906年4月1日)に同時掲載され、短期間に一気に書き上げられたことを知りました。さらに、執筆で使用した原稿用紙が展示されていたのですが、修正の跡がほとんどないきれいな状態であることにも驚きました。本当に驚くことばかりの、素晴らしい展示でした。
では、次回をお楽しみに!

