生田信一(ファーインク)
市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第1回)
2021年2月にオープンした、市谷の杜 本と活字館に行ってきました。建物は、東京都新宿区のJR市谷駅(都営大江戸線牛込神楽坂駅)から徒歩15分くらい、大日本印刷株式会社の敷地の一角にあります。
このレポートは連載でお伝えします。今回は建物の外観と、館内の展示から活版印刷工程の「作図」「鋳造」のコーナーをお伝えします。
復元、再整備された歴史的な建物
建物は歴史的な重みを感じる造りです(写真1、2)。案内の小冊子から一部を引用します。
「時計台が特徴のこの建物は、1926(大正15)年に建てられました。来客用カウンターや応接室、役員室などがあり、工場の表玄関の役割を果たしていました。戦時中の空襲にも耐え、ずっとこの地にあり続けました。(…一部略…)
21世紀に入り、工場再整備の一環で、書籍や雑誌の大量印刷に用いる大型機械を郊外の工場に移設。この地区では周囲に「市谷の杜」を整えるとともに、この建物を文化施設として社外に公開し、出版印刷の象徴として新たな形で活用することにしました。(小冊子「市谷の杜 本と活字館」より)
地階、1階、2階の建物で、1階が「印刷所」、往時の活版印刷工場がそのまま再現されています。館内では活版印刷の作業工程を順を追って見学でき、鋳造された活字の棚や印刷機などの制作現場の様子が当時のまま復元されています。
2階は「制作室」。印刷と本づくりを実際に体験し、モノをつくる場所です。購買もあり、活版印刷や製本の材料、グッズ、書籍資料、紙などが購入できます。
では、1階の展示から巡ってみましょう。
本をつくる流れ
1階の「印刷所」の展示では、印刷手法のなかでも、明治から昭和にかけて主に行われていた、活版印刷による本づくりの工程を見ることができます。最初に導入として、本をつくる流れが解説されています。
本ができあがるまでの工程は、1. 作字、2. 鋳造、3. 文選、4. 植字、5. 印刷、6. 製本、の流れです(写真3)。
導入では、金属活字を使って、植字(ページ組版)を行い、校正刷、印刷までの流れを示したものが示されます(写真4)。
(写真5)は金属活字とその元になる母型(ぼけい)。(写真6)は植字の工程で作られるページ組版、(写真7)は組版したものにインキを付けて印刷した校正刷り(試し刷り)。(写真8)は印刷・製本を終えた本です。
印刷の基本的な流れは現在でもあまり変わっていません。活版印刷では、文字の元になる金属活字を文字種の数だけ作り、活字を1つずつ拾って文章を組む工程があります。大変手間がかかる作業ですが、現在ではこの工程はデジタルによる作業に置き換わっています。
展示では、文字の元になる金属活字を作る工程から始まります。
作字─1文字ずつ原図を描いて「型」をつくる
金属活字の時代は、どのように文字をデザインし、活字の「型」を作っていたのでしょうか? 展示では最初に金属活字の元になるデザインの原図を見ることができます。作字の流れは以下の通り。
作字の流れ。
「彫刻母型」をつくる作字工程は、次の3つに分けることができます。
1. 書体デザインの担当者が手描きの原図を作成します。
2. 原図を撮影し、腐食で亜鉛のパターンを作成します。
3. 活字パントグラフでパターンのへこみをなぞり、真鍮に文字の形を彫刻します。活字パントグラフは縮尺率を変えることができ、1枚のパターンで異なるサイズの母型の彫刻が可能です。
(展示パネルの解説より)
金属活字を作る方法は、戦前と戦後で大きく変わりました。戦前は活字の元になる「型」が職人の手で彫られていました。この型を元に文字の形が彫られた金属の「母型」を作ります。母型は凹状に凹んでいます。また反対に凸状で彫られたものもあり、これを「父型」と言います。
戦前の母型製作は「電胎法」が主流でした。これは電気メッキによる金属製品の複製法です。戦後、母型製作にパントグラフ(ベントン母型彫刻機)が導入され、作字の工程が大きく変わりました。これまで母型は実際のサイズの金属や木に逆字(反転した)の形で直接彫っていました。しかし、この技術をもつ職人さんは限られていました。
パントグラフによる母型製作では、文字のデザインを正字で紙に書いて仕上げることができます。これは文字デザインの工程においては大きな革命でした。
そのあとデザインされた文字のイメージを金属の板に焼き付け、「パタン」を作成します。これをパントグラフにセットし、金属に彫刻して母型を作成します。パントグラフの彫刻では、倍率を変えることができるため、1つのパタンからさまざまなサイズの母型が作れるようになり、金属活字の生産効率が大きく上がりました。
1階の最初の展示では、当時作られた原図やパタン(パターン)、パントグラフが展示されています(写真9〜12)。とても貴重な資料だと思います。展示物の近くのパネルやカードの解説を読むと、当時の製作の様子がわかりやすく解説されていています。写真と一緒にご覧ください。
パントグラフの展示
当時使われていたパントグラフ の実機が展示されています(写真13〜14)。現在ではほとんど見ることができないので、とても貴重な体験ができました。
パントグラフ の仕組みは、まず文字のパタン(金属の原図)をセットし、文字の形を手でなぞっていきます(写真15)。この動きは上部にある母型を彫刻する機構と連動し、金属の表面が削られていくという仕組みです。彫刻される部分には母型の元になるが金属がセットされています(写真16)。
母型を彫刻するユニットを上下に移動させると、削る母型の大きさを調整することができます。1枚のパタンからさまざまなサイズの母型を作ることができるのは、この機構によるものとの説明をうかがいました。
パントグラフはメンテナンスが施され実際に動くそうです。動いている様子はモニターの映像で見ることができます(写真17〜19)。
鋳造─1文字ずつ型に金属を流し込んで「活字」をつくる
1文字ずつ型に金属を流し込んで「活字」を作ります。
私は以前、横浜の築地活字さんを見学させていただき、本サイトのコラムで紹介しました(「築地活字で活字鋳造の現場を見学しました」を参照)。こちらを読んでいただければ、活字鋳造の工程がわかると思いますので、参考にしてください。
当施設に展示されていたのは林榮社の万年自動活字鋳造機(写真23、24)。築地活字さんで拝見したものと同じタイプだと思います。
また、鋳造で使用する道具が紹介されていました(写真25)。
ちょっと一休み
このコラムは数回にわたっての連載になります。ここらでちょっと一休み。
建物に入ってすぐ右側には喫茶のコーナーがあります。コーヒーや紅茶のほかに季節限定のメニューもありました(「夏の期間限定メニュー CMYKフロート」)。休憩は地下と2階の閲覧のコーナーにベンチがあり、ゆっくりくつろげます(写真29、30)。
私が住む新宿区やその周辺には印刷会社が多く、出版にまつわる会社も集まっています。この界隈の方であれば、リアルタイムで活版印刷を経験された方も多いでしょう。私はデジタル環境に移行し始めた頃に今の仕事についたので、活版印刷の魅力や奥深さは知らないことのほうが多いです。
興味のきっかけを与えてくれたのは、私が勤務するデザイン専門学校の学生が取り組んだ卒業制作の作品作りでした(本コラムの第1回「活版印刷、ぶらり散歩 ─ 入門編」参照)。そのときに仕事場の近くに、現役で活字鋳造を行う印刷会社・佐々木活字店があることを知りました。さっそく会社に訪問、会社の中や鋳造の現場を見学させてもらいました。そのときの体験が強く印象に残り、さらに多くの気づきも得ました。デジタルで行う制作環境においても、活版印刷時代に培われた技術や知恵は今もなお息づいています。印刷の歴史を知ることはとても大事なことですね。
「市谷の杜 本と活字館」では、展示や解説にさまざまな工夫が凝らされ、当時の印刷の現場の様子をわかりやすく伝えてくれる貴重な文化施設です。入館料が無料であることがさらにうれしく、活版印刷に興味がある若い人にぜひお勧めしたいです。スタッフの方に声をかけるといろいろなことを教えてくれます。今回の取材でも親身に対応していただきました。お礼申し上げます。
このコラムは連載でお届けする予定です。次回をお楽しみに!
市谷の杜 本と活字館
住所 162-8001 東京都新宿区市谷加賀町1-1-1 大日本印刷内
電話 03-6386-0555
開館 平日/11時30分〜20時
土日祝/10時〜18時
休館 月・火(祝日の場合開館)
入場無料
URL https://ichigaya-letterpress.jp/
※来館には予約が必要です。上記のWebサイトで営業日や時間を確認し、予約手続きを行ってください。