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生田信一(ファーインク)
市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1)

市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

今回のコラムは、市谷の杜 本と活字館で催された企画展「活字の種を作った人々」の様子を紹介し、その概略をお伝えしていこうと思います。

文字をデザインする人たちを現在では「タイプデザイナー」と呼ぶのが一般的ですが、明治期以降、日本に活版印刷術が伝わり、金属活字が普及しはじめた頃、活字の原型となる型を彫る人たちを「種字彫刻師」と呼んでいたそうです。

印刷の歴史を振り返ると、江戸期に庶民の間で人気だった浮世絵は、絵師、彫り師、摺り師の職人さんによる共同作業で行われていました。浮世絵の場合を見ても、絵師の名前は残りますが、彫り師、摺り師といった方々のお名前はほとんど残っていません。

今回紹介する企画展は、これまであまりスポットが当てられなかった「種字彫刻師」と呼ばれる人たちに焦点を合わせ、彼らの人間像に迫るものです。これまでぼんやりしていた印刷術の歴史が、まざまざと浮かび上がってきました。貴重な資料が数多く公開され、じっくり時間をかけて鑑賞したいと思います。連載形式でお伝えしますので、しばしお付き合いください。

市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

「活字の種(たね)」ってなに?

今回のコラムは、まずは活字の元となる「活字の種」について考え、掘り下げていきます。「活字の種」は、「父型」と呼ばれる凸状の文字の形と、「母型」と呼ばれる凹状の文字の形を作るところから始まります。凹状の型には、熱で溶かした鉛が流し込まれ、これを急激に冷やして棒状の金属の活字が出来上がります。

父型は活字の原型となる型を作るところから始めますが、筆者はどのようにして父型が作られたのかずっと疑問でした。今回の展示をきっかけにいろいろ調べていくと、父型は当時の職人さんがルーペを見ながら手作業で彫っていたことを知り驚きました。後年は、彫刻機を使い、精度の高い活字の母型を直接彫ることができるようになります(「活字パントグラフ」(ベントン彫刻機)と呼ばれる彫刻機は日本国内では1948年に国産化・量産され、活字母型彫刻機として使用されるようになります)。

金属活字の文字はわずか3ミリ程度、しかも文字は逆像に彫る必要がありました。さらに、書体のデザインや他の文字とのバランスも考慮しなければなりませんでした。

本展は、これまであまり語られてこなかった、活字のおおもとになる「種字」を作り上げた人達に焦点を当てる試みです。展示された資料は、公開されることが珍しい貴重なものばかりです。

展示パネルは、各時代の鍵になる彫刻師の横顔やイラストが添えられ、楽しい構成になっていることもまた見所です。また、活字の鋳造所や印刷所の流れが年表とともに整理され、役立つ資料になっています。

(写真1)は、本展のパンフレットとガイドブック。会場入口で入手することができます。

(写真1) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真1)本展のパンフレットとガイドブック。

(写真1) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真1)本展のパンフレットとガイドブック。

銅ガラ(ガラハ)と種字

活版印刷の活字は、1つ1つの文字が四角い形の中に収まった棒状の判子になっています。1本の活字を作るにはおおもとになる活字の凸状の「型」を作る必要があります。これが活字の「父型」と呼ばれるものです。父型が出来上がると、これを押し当てて凹状の形態の「母型」が出来上がります。

明治期、活版印刷が日本に伝わった当時は、金属活字の型を作るには、アメリカで開発された電鋳法(電胎法)が用いられていました。(写真2)は、活字の元になる凹状の「母型」、文字を型取り銅メッキした銅ガラ(ガラハ)、凸状の「種字」の実物です。

(写真2) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真2)母型、銅ガラ(ガラハ)、種字の実物。

(写真3、4)は、活字の母型ができるまでを図解したパネルです。母型の作成には、「蝋型電胎法」と「直接電胎法」とがあります。工程が複雑でわかりにくいのですが、模型が作られ、実際に手にとって確認することができました。パネルの解説は以下の通りです。

蝋型電胎法は、木材に種字を彫り、銅メッキを2回行って母型を作る方法です。この方法は、画数の多い漢字の活字を作るのに適していました。工程は、①木に種字を彫刻します(凸の型)→②種字を何本か組み付けて蝋で型取りします(凹の型)→③蝋型を銅メッキして凸の型=「甘皮」を作ります(一次電胎)→④凸の型(甘皮)を再度銅メッキして凹の型=「銅ガラ」を作ります(二次電胎)。

直接電胎法は、金属に種字を彫り、種字を直接銅メッキして母型を作る方法です。工程は、①金属に種字を彫刻します(凸の型)→②種字を直接電解槽に入れて銅メッキの凹の型を作ります。

以上のような工程で出来上がった母型に溶かした鉛合金を流し込んで、鋳造した活字が完成します。

(写真3) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真3)

(写真4) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真4)
(写真3、4)活字が出来上がるまでの工程を図解した展示パネル。種字や母型の大きな模型が作られ、手に触れながら工程を学ぶことができます。

(写真2) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真2)母型、銅ガラ(ガラハ)、種字の実物。

(写真3) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真3)
(写真3、4)活字が出来上がるまでの工程を図解した展示パネル。種字や母型の大きな模型が作られ、手に触れながら工程を学ぶことができます。

(写真4) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真4)

種字彫刻師年表

「種字」の製作は、特別な技術を有した職人に頼らざるえませんでした。活字の母型を製作する会社には、東京築地活版製造所や秀英舎(後の大日本印刷)、岩田母型製造所(現イワタ)、凸版印刷(現TOPPAN)、博文館印刷工場(現共同印刷)、精興社などがあります。また、毎日新聞社、朝日新聞社などの新聞各社も活版印刷の活字の製造に携わっていました。

今回の展示の大きな見どころは、金属活字に携わった企業の協力を得て、種字制作の道具や彫られた種字が多数公開されたことでしょう。画期的だったのは、種字彫刻師の人物に焦点を当てた年表が作成されたことです(写真5)。明治〜大正〜昭和の時代に活躍した種字作りの名人たちを一覧で見ることができます。

(写真5) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真5)種字彫刻師年表。

活字の製造を手がけた企業は、活字鋳造所のほか、印刷会社、新聞社などさまざまです。こうした企業の活字の需要に答えて、種字彫刻師が雇われ、種字が製作されていきました。彼らは今日で言えばタイプデザイナーと呼ばれる人たちです。

(写真6)は「種字彫刻師 人物相関図」のパネルです。このパネルからは、当時の種字彫刻師の人たちが、今日の代表的なフォントベンダーにつながっていることがわかります。

(写真6) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真6)種字彫刻師 人物相関図。現在のフォントベンダーの歴史と重ね合わせて見ることができて、興味深いです。

(写真5) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真5)種字彫刻師年表。

(写真6) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真6)種字彫刻師 人物相関図。現在のフォントベンダーの歴史と重ね合わせて見ることができて、興味深いです。

1Fの常設展示より、活字パントグラフ、電胎母型/彫刻母型など

種字について理解が深まったところで、改めて「市谷の杜 本と活字館」の1階の常設展示を振り返ってみたくなりました。1階では、活字を鋳造する工程がわかりやすく解説されており、「電胎母型」や「彫刻母型」の実物や、活字パントグラフ(彫刻母型)、彫刻の際に使われた文字の「パターン」などが展示されています。

(写真7、8)は電胎母型、(写真9、10)は彫刻母型の写真です。大別して2つの作り方があることを理解した上で母型をじっくり眺めると、それぞれの特徴が見えてくるように思えるのですが、いかがでしょうか。

(写真7) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

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(写真8) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真8)
(写真7、8)電胎母型。解説:銅めっきの手法で作られた母型。活字パントグラフが導入される前は電胎母型が主流でした。

(写真9) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

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(写真10) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真10)
(写真9、10)彫刻母型。解説:活字パントグラフで真鍮を直接彫刻した母型です。本文用活字の母型は、大半が彫刻母型です。

(写真11、12)は活字パントグラフ(母型彫刻機)の実機です。この機械の登場により、活字のデザイン・製造の工程が大きく様変わりすることになります。これまで職人による手彫りで逆像のイメージで彫っていた種字の設計が、正像の平面の上で行えるようになったのです。活字の製造が効率化され、大量の生産が可能になり、戦後急激に増加する活字の需要に応えることができるようになりました。

(写真11) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真11)

(写真12) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真12)
(写真11、12)1948年、活字パントグラフ(母型彫刻機)が研究・開発され、国産の母型彫刻機が生まれました。

(写真13)は、文字のデザインを平面上に移し終えた「パターン」を保管した棚です。母型の彫刻は、このパターンの輪郭をなぞることで、容易に文字のデザインを写すことができるようになりました。

(写真13) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真13)文字のデザインを平面上に移し終えた「パターン」。

ところで、「直彫り」と呼ばれる活字の彫刻技術があります。この技術は活字パントグラフ(母型彫刻機)が普及した後でも、印刷現場のイレギュラーな場面で求められることがあったそうです。「市谷の杜 本と活字館」のYouTubeムービーでは、金属活字の面に9ポイントの文字を直接彫っている映像を見ることができます。

ムービーは以下をクリックしてください→ 直彫り/市谷の杜 本と活字館 活版印刷映像アーカイブ その5

ムービーの解説テキストは以下の通りです。

「文選で活字を選び出していく際、母型のない活字が必要となる場合があります。その時は、鉛の角棒に、直接文字を彫り活字を作ります。それが、活字の直彫りです。
この技術の源は、電胎法の母型製造工程で種字を作る際の手法です。しかし戦後、電胎法から、機械による彫刻法に母型の製造方法が移り変わる中で、この直彫りができる職人も、僅かな名人に限られていったといいます。
大日本印刷市谷工場で、直彫りを長く一手に引き受けていた中川原勝雄さんの映像です。」

 

今回は、「市谷の杜 本と活字館」で行われている企画展「活字の種を作った人々」をご紹介しました。文字の歴史は実に奥深いですね。本企画展に合わせて、いろいろ調べたくなりました。今回の企画展は2024年6月2日まで。本企画に合わせたイベントも企画されており、これからも楽しみは続きます。

では、次回をお楽しみに!

(写真7) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真7)
(写真7、8)電胎母型。解説:銅めっきの手法で作られた母型。活字パントグラフが導入される前は電胎母型が主流でした。

(写真8) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真8)

(写真9) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真9)
(写真9、10)彫刻母型。解説:活字パントグラフで真鍮を直接彫刻した母型です。本文用活字の母型は、大半が彫刻母型です。

(写真10) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真10)

(写真11) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真11)
(写真11、12)1948年、活字パントグラフ(母型彫刻機)が研究・開発され、国産の母型彫刻機が生まれました。

(写真12) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

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(写真13) | 市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」に行ってきました(1) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

(写真13)文字のデザインを平面上に移し終えた「パターン」。

市谷の杜 本と活字館 企画展「活字の種を作った人々」

企画展「活字の種を作った人々」:https://ichigaya-letterpress.jp/gallery/000345.html
会期:2023年11月03日(金)~2024年06月02日(日)
住所:162-8001 東京都新宿区市谷加賀町1-1-1
電話:03-6386-0555
開館時間:10:00~18:00
休館:月曜・火曜(祝日の場合は開館)、年末年始
   入場無料
   ※平日:予約制、土日祝:予約不要