アミリョウコ
ノートをいちから作ること。
Marzo(3月)
すっかり暑い日々が続いているオアハカです。例年よりも暑んじゃないか、なんて思いながら日々を過ごしています。
2月はようやく取り掛りたかったプロジェクトをすることができました。私が初めて京都の京都活版印刷さんを訪れた時に手にした「こといろはノート」。
ひょんなことからハワイにある活版印刷の工房を訪れたことがきっかけで、活版印刷に興味を持ち京都活版印刷さんにたどり着き、こうして寄稿までさせてもらっている私ですが、その原点ともいえる「こといろはノート」の表紙にも使われている羊毛が含まれた紙をオアハカに持ち帰って着て早数か月。
オアハカでもこのこといろはノートタイプのノートを活版印刷で作れたらいいなと思いを温めていました。最初は、オアハカのアーティストに声をかけてノートをつくるプロジェクトをしようとも考えていたのですが、マエストロキンタスのところで、樹脂版に頼らず活字だけで印刷物をつくる仕事や大きな木の活字を見ているうちに、活字だけでノートを作ってみたいという気持ちが大きくなっていきました。
日本へ帰った時、再び京都活版印刷さんを訪れて登津山さんとお話しした時のこと、日本語の活字の最大42ポイントだということを教えていただきました。日本語にはかなだけではなく漢字もあるのですから、フォントの大きさを上げればそれだけ活字が増えるのでその大きさが制限されてしまうのも納得です。そういう点では、アルファベットの国は本当にいろんな種類や大きさの木の活字があって豊かな印刷物の歴史があるのだろうと感じます。
例えばこんな作品(写真2)。シカゴで見かけたAmos P. Kennedyさんの作品です。様々な大きさや種類の活字を重ね合わせて刷られたポスターは、文字の持つ力のようなものを感じずにはいられません。
オアハカでノートをつくる
木の活字を使うということだけを心に誓い、いざ!と思ったのですが、どんな言葉を並べるかというのは意外と難しいことに気が付きました。
どうしても使いたかったのはものすごく大きな「!」です。そして、ビックリマークをつけて言いたくなるようなフレーズは、と探して思いついたのが”Ponte listo”です。直訳すると、「準備しておきなさい」となるのですが、使われているのを聞いていると私の感覚では「ぼんやりしてたらあかんで!」という感じで人を鼓舞したり注意したりするのに使われているような印象を受けて、とてもメヒコっぽい表現だと思います。実際、マエストロにこのアイディアを伝えると笑っていました。きっと、メヒコを中から見た外の者の視点がそこに感じられたのだと思います。
大きな活字を選びながら、この大きさで見出しが並ぶポスターがかつては作られていたのかとわくわくしました。
2色で刷ることになり、紙は3種類使いました。(写真7)
一番上がメヒコの紙、その色の名前が好きで私がよく使う紙です。その名も”トルティージャ”といって、メヒコの主食トルティージャの表面のようにランダムにつぶつぶと色が入っています。
2番目が日本の紙。薄いのですが手触りがよく、同じ圧で刷ったらインクがかすれて、木目のような刷り上がりになりました。
3番目が羊毛を多く含んだ紙。分厚くてふわふわとした紙なので、こうして3つを比較すると、一番温かみのある印象の刷り上がりになりました。トルティージャの表紙は、しゅっとしたスマートな仕上がりで、どれも三様に良さがあります。
紙が変わると印象が変わるので面白いです。日本製の紙は手触りがよいのでマエストロも驚いていました。メヒコの手すきの紙は原料の堅い何かが残ったままになっていて、活字が傷む原因になってしまうので活版印刷には向かないそうです。
紙1つでこんなにも表情が豊かになるのだから、メヒコにも活版印刷に適したいい紙が流通すればいいのになぁと思いました。
製本する
マエストロの工房には、製本機というものがありません。つまり、全部手作業で製本を行っているのです。
まずは、背をつくる作業です。
背となるところにラインを空押しして折り目をつけます。
中身は中身で枚数を数え、一部ずつ束にして間に紙をはさみます。それを高く積み上げて、おもりを乗せて背となる部分に刷毛でのりをつけます。
そして、一晩寝かせて完全に乾いたらナイフで1部ずつ切り分けます。魚を3枚におろすような感じです。
つぎに表紙と中身を合わせていくのですが、中身の背に刷毛でのりをつけて、表紙と合わせます。背となる部分がぴったりと合わないといけないので、骨ベラを使ってはり合わせます。張り切ってマイ骨ベラを買って持って行ったのですが、
「だめだ、これは新しすぎてけばけばしている!」
とマエストロにダメ出しを食らい、「これを使いなさい」と差し出されたのは年季の入ったつるつるの骨ベラでした。
通常は牛の骨が使われるそうなのですが、少し小ぶりだったので「これは何の骨ですか?」と聞くと、
「人間」
というまさかの答えが返ってきてひっくり返りそうになりました。冗談か本当なのかはさておき、年季の入ったつるつるの骨ベラはとても使いやすかったです。
そして、またこのおもりをのせて寝かせます。(写真9)
背表紙がのり付けのノートは簡単に作れるものだと思っていたのですが、それは機械ありきの話です。機械が開発される前はこのように一つ一つ作られていたのだな、と遠く昔に思いをはせながら、一歩ずつノートづくりは進みます。
完成が近づくにつれてはやる気持ちと裏腹に、どの工程にも「待つ」という時間が必要不可欠だということに気が付きます。それは製本だけではなく、活字を組む工程も、印刷する工程にも言えることです。一瞬でも早くしたいと急く気持ちももちろんありますが、より良いものをつくろうと思ったら大事なのはこの「待つ」作業なのだということも学びました。
なんでもあっという間にできてしまうことに慣れてしまうと、どうやってそのモノができたのかということに気を配らずにスルーしてしまうこともありますが、こうしてものをつくる工程を体験すると、何もなかったところからものを生み出すという感覚を味わうことができて貴重な体験だと思いました。
裁断する
最後の工程は裁断です。それぞれ不揃いなふちをザクっと裁断機で切って揃えます。これはさすがに機械を使います。機械はこちらの手で回すもの。(写真10)
長い時間をかけて無事にノートが完成しました!!(写真11〜13)
日本人の人に使ってもらうときにも意味を伝えたかったので、中身にはシルクスクリーンで和訳を刷りました。
“AHORITA ES AHORITA(今と言ったら今なんだ),
AHORITA ES LA HORA(今がその時).
PONTE LISTO(備えよ!)”
メヒコでは、AHORITA(アオリータ)という表現があって、直訳すると「今すぐ」という意味なのですが、アオリータといいながら一向に物事が進まないなんて言ういい加減なことがよくあります。「アオリータ」で済まさないでね、というこのみなぎるやる気を気合を、あえて「アオリータ」を使って表現してみました。
1冊のノートをつくるのに、こんなにも時間と技術とアイディアが詰まっているだなんて想像もしていませんでした。活字だけを使ったこのノートは、マエストロキンタスとのコラボレーション作品になり、感慨深い1冊となりました。
次回は、オアハカの版画のアーティストとコラボレーション下ノートを作ってみるのも面白いなと思いをはせています。