生田信一(ファー・インク)
紙活字で印刷してみよう
活版印刷キット「Paper Parade Print Kit」が2017年5月に発売されます。この印刷キットは、
「紙活字®(Papertype®)」という紙製の活字を利用して文字を組むのが特徴です。印刷手法は伝統的な活版印刷のスタイルですが、活字は最新のレーザー加工技術を利用して作られています。
制作の手順は、紙でできた活字を並べて文字の版を作り、文字の凸部分にローラーでインキを塗り、圧力をかけて紙に転写します。手作業で、活版印刷と同じしくみで印刷ができます。文字は1文字1文字が紙でできているので、自由度の高い文字組みや加工ができます。はじめての方でも迷うことなく作業できるシンプルな工程になっています。
この印刷キットを開発したのは、タイプデザイナーの和田由里子さん。今回のコラムは、発売間近の「紙活字」を体験する目的で、東京都墨田区京島に近々オープン予定のカフェ「moi COFFEE(モアコーヒー)」を訪ねました。このカフェのオーナーが守田篤史さん。守田さんは、「Paper Parade Print Kit」の発売にあたって、キットに必要なインキの開発をサポートするほか、今後も和田さんと共同でPaper Parade Printingとして紙や印刷技術を生かしたプロダクトの開発やディレクションに携わっていかれるそうです。
カフェは4月上旬に正式オープン予定で、内装を終えた店内を見せていただくのも目的でした。到着すると、早々にコーヒーをいれてくれました。僕好みの酸味があるブレンドで、おいしくいただきました。今回のコラムでは、守田さんのレクチャーを受けながら紙活字を初体験した様子をレポートします。
デザイン・印刷と密接に関わったカフェ作り
moi COFFEEは、東京スカイツリーから徒歩で行ける場所にあります(写真1)。スカイツリーのような大きな建造物があると、道に不慣れでも安心です。カフェは4件軒を連ねた建物の一角です(写真2)。店内は正式オープンの前なので、広々としていました(写真3)。守田さんは、カフェのコンセプトとして「ワークショップの場としても利用できる空間を作りたかった」と話します。2階にも1階と同じくらいのスペースがあり、さまざまな目的で活用していくことを計画しているとのこと。いただいた名刺にはかわいいロゴマークが刷られていました。あとで気がついたのですが、このロゴマークは文字好きにはたまらない仕掛けが潜んでいます(写真4)。
カウンターに座ると、奥にコンセントがあり、ノートパソコンを開く際にも便利。Wi-Fiも完備されるとのことなので、ちょっとした仕事ならここでできそうです。デザイナーやクリエイターの方が気軽に寄ってくつろぐことができる空間です。
守田さんに「紙活字」の開発をサポートする経緯をお聞きした。和田さん、守田さんは、お二人とも多摩美術大学グラフィックデザイン科でデザイン、タイポグラフィを学んでいる。守田さんが後輩で、学年は少し離れていて、お二人が出会ったのは卒業後のこと。
和田さんは卒業後にスイスバーゼル造形学校に2年在籍し、2009年から「紙活字」の構想が生まれた。守田さんは和田さんから初めて紙活字の話を聞いた時に、紙活字の可能性に魅せられプロジェクトに参加、プリントキットに必要なインキ開発から共同作業がスタートしたそうです。
守田さんの経歴はユニークです。大学卒業後はデザイン会社にインターンで一年間働いたのですが、最終的にはそのデザイン会社に就職しなかったそうです。別のことをやりたくて、コーヒーの焙煎を学んでいたのですが、「縁あって墨田区で東向島珈琲店のパッケージデザインを手がけることになり、再度デザインに向き合うようになった」と話してくれました。
守田さんは、現在では墨田区に活動拠点を置き、ご自身でもデザインを手がけておられます。墨田区は印刷・製本・加工の会社が集中しており、デザインの仕事とも直結しています。最近では活版印刷をはじめとするプロジェクトのプリンティングディレクターとして仕事を依頼される機会が増えているそうです。本コラムの「活版印刷+紙加工の魅力に満ちた卓上オリジナルカレンダー」で紹介した活版印刷の事例では、守田さんがプリンティングディレクターを担当している様子を紹介していますので参照してください。
守田さんのように、デジタルにも精通した若いクリエイターが活版印刷の橋渡し役になってくれることは、デザイナーや周囲の印刷・製本・加工会社からも重宝がられているようです。若いデザイナーさんは活版印刷の経験がない方がほとんどですし、実際に発注する段階では戸惑うことも多いでしょう。前回の取材で感じたのですが、通信機器を駆使してデータの受け渡しをしたり、出張校正先で印刷仕上がりを撮影してクライアントに送ったりといった仕事の進め方は守田さんならではのスタイルで、こうしたコミュニケーション能力の高さも、周囲から信頼を得る要因になっているのだろうと推察します。
「紙活字」の印刷を体験する
守田さんの手ほどきを受けながら、紙活字の印刷にチャレンジしてみました。紙活字は40mmくらいの高さで、文字サイズに合わせて四角くカットされています。構造は、土台部分が四角形で、その上に文字の形で切り抜かれた厚紙が貼り付けられています(写真5)。厚紙は丈夫な素材で、「合紙」と呼ばれる加工技術で貼り合わされています。文字の形はレーザー加工でカットして切り抜かれていますのでエッジがシャープです(写真6)。
文字を隙間なく並べると、土台の四角形が「仮想ボディ」の役割を果たし、文字がきれいに組めるように設計されていることがわかります。デジタルフォントでは土台になる四角形の部分を「仮想ボディ」と呼びますが、紙活字でも同様の設計になっていることがわかり、感心してしまいました。ちなみに文字がデザインされている領域は「字面(じづら)」と言います。
紙活字の一番のおもしろいところは、文字の表面に凹凸をつけてテクスチャなどの模様をつけることができることです。活字部分の表面を引っかいて傷をつけたり、削ったりして、自由な発想で、文字にテクスチャ(凹凸)をつけることができます。アイデア次第でおもしろい模様を付けることができます。たとえば、鉄筆で引っ掻いたり、フォークの先で傷つけたり、ミニチュアの車でタイヤの後をつけたりすることもできます(写真7)
インキは紙活字用に専用のものを開発したそうです。粘度や印刷後の乾燥時間を考慮して、作業しやすいように調合されているとのこと。チューブ入りで販売される予定で、適量だけパレットに出して、開封後もキャップを締めれば乾燥を防ぐことができます。チューブから出した後は、ヘラやローラーを使ってインキをよく練ります(写真8)。
最初に、1文字だけ刷ってみました。紙活字の文字の凸部分にローラーでインキを塗り、専用の印刷機の上にセットします。用紙は名刺サイズの厚紙を用意しました(写真9)。
クッションのシートを上から重ね、印刷機の上蓋を閉じて、上から手で押して圧力をかけます(写真10、11)。この工程が活版印刷のポイントです。上から圧力を加えることでインキが紙に転写し、活版らしい仕上がりになります。押す力加減は個人差がありますが、何回か繰り返すとコツをつかめるでしょう。
印刷を終えたところが(写真12)です。模様を描いた部分が左右に反転しているのがわかります。模様をつける際には、この点を意識するようにしましょう。
紙活字で文字組みに挑戦
次に簡単な文字組みに挑戦してみました。文字組みは印刷機の上に、インキを塗布した紙活字を並べていく作業になります。ぴったり詰めて並べると「ベタ組み」になります。「ベタ組み」は仮想ボディの四角形を隙間なく並べて組むことを指します。
おもしろいことに紙活字は紙でできているので、たとえば「A」と「V」「W」「Y」のような字形が並ぶ場合は、紙の土台部分をカッターでカットして、互いの文字が食い込むように詰めて組むこともできます。もちろん、文字間隔を開けたり、回転させたりといった組み方も自由です(写真13)。
ここでは「YES」の3文字をチョイスし、ランダムに配置してみました(写真14)。文字は左右が反転しているので、向きに注意しなければなりません。慣れないと、うっかりミスをしてしまいそうです。また、「S」「H」「I」のような文字は、上下の向きに気をつけましょう(私はうっかりこのミスを犯してしまいました)。上下の見分けがつきにくい文字は、上下の余白をチェックして、余白が広い方を下にするとよいようです。
プレスの工程は前述の通りですが、用紙ははがきサイズのものに替えて印刷してみました。出来上がりは(写真15)を参照。さらに用紙を薄手の上質紙に変えて印刷を試してみました。仕上がりは(写真16)を参照。
作業を終えたら、紙活字やローラー、パレットに付着したインキはウエスなどにクリーナーの溶液を含ませて拭き取ってやりましょう(写真17)。紙活字の素材は耐久性のある用紙なので、何度か繰り返して利用することができます。
「Paper Parade Print Kit」のデビュー
和田さんは、紙活字の印刷キット「Paper Parade Print Kit」のデビューの場として、クラウドファンディングサイト「Makuake」を利用しています。こちらのサイトでキットの紹介や各種コースの申し込みが可能になっています。コースには、東京、大阪でのワークショップに参加できるものも含まれています(写真18)。
また、紙活字のメーキング・ストーリーは、和田由里子さんの「papertype」サイトで読むことができます。興味を持たれた方はぜひ訪れてみてください。
紙活字のワークショップも行われています。これまでに行われたワークショップでユニークなものに、東京都江東区大島のFACTORY 4Fで行われた『いいかげんなCOFFEEファクトリー』があります。紙活字「Paper Parade Printing」とコーヒー屋さん「moi COFFEE」の二人で“印刷”と“食”をテーマにしたワークショップを行いました。
このワークショップでは、4〜5種類の焙煎コーヒー豆の特徴を学び、好きな豆を組み合わせて自分だけのオリジナルプレンドコーヒーをつくり、さらにブレンドしたコーヒー豆の種類名をコーヒー袋に紙活字で印刷して、オリジナルのパッケージを作成したそうです。この企画は好評で、2回催され、リピーターも生まれているとのことです(写真19、20)。
「紙活字」を体験してみて、デザインワークにおいては、タイトル文字などでオリジナルロゴを作りたいといった用途に有効ではないだろうかと、強く感じました。ホビー用途でも、年賀状やグリーティングカード、タグやコースター、ノートブックの表紙などでインパクトのあるビジュアルメッセージを表現できそうです(写真21、22)。斬新な発想でいろいろチャレンジできる点で、新しい可能性を感じます。また、工程自体はシンプルなので、小さなお子さんでも取り組めることも魅力です。
私が携わっているデザイン教育の分野では、タイポグラフィの授業の教材で利用してみたいと強く感じました。現在では、コンピュータでデザインすることが当たり前になってしまったので、若い人が文字の仮想ボディや字面といった概念を理解するのが難しくなっています。コンピュータで利用できる各種のフォントも、かつての金属活字の設計思想が反映されていることを知る意義は大きいでしょう。活字を1文字ずつ手に取ってみることで理解がより深まるし、学生もタイポグラフィに親しみを持ってくれると思います。
「紙活字」の体験は楽しいひと時でした。活版印刷の新しい可能性を見出してくれた和田さん、守田さんには深く感謝したい。
ではまた次回!