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生田信一(ファーインク)
市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

2021年2月にオープンした、市谷の杜 本と活字館に行ってきました。建物は、東京都新宿区のJR市谷駅から近く、大日本印刷株式会社の敷地の一角にあります。

館内の様子をお伝えする連載コラムの3回目。今回は、活版印刷工程の「印刷」「製本」のコーナーの展示を紹介、さらに秀英体の書体についてお話しします。

市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回) - 生田信一(ファーインク) | 活版印刷研究所

印刷──版を機械にセットし、インキを付けて紙に刷る

印刷のコーナーです。パネルの案内は以下の通り(写真1)。

「版が完成したら、いよいよ印刷です。校了した組版を8ページや16ページなどの複数ページ分を印刷機に組み付けます。活字の高さに不揃いな部分があれば、薄い紙などを手作業で胴に貼り付けて、適切な印圧で印刷できるように調整します。読みやすい本づくりには、印刷工程での丁寧な調整が欠かせません。」(展示パネルの解説より)

(写真1) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真1)印刷工程の解説パネル。

1階には、大型の印刷機が展示されています(写真2、ムービー1)。昭和初期に使われていたものを復元したとのこと。機械を再び動かすには、ご苦労があったようです。パンフレットには以下の記述がありました。

「館内で“動く印刷機”を展示することが決定し、昭和初期に使われていた活版印刷機を復元するためのプロジェクトが始動。日頃、印刷機の設計・開発を担当している大日本印刷生産総合研究所と機械メンテナンスの専門集団DNPエンジニアリングによって、平台活版印刷機の解体・修理・復元が行われました。」(パンフレットより)

(写真2) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真2)復元された平台活版印刷機。

(ムービー1)平台活版印刷機ムービー。

以前、セミナーで伺った話ですが、平台の大型の活版印刷では、均一に圧をかけてムラなく刷るのが大変だったそうです。活版印刷ではどうしても印刷時に濃度のムラが現れます。これを防ぐには、版胴に薄紙を貼って圧が均一になるよう調整を行っていたそうです。この作業は、現在の活版印刷でも行われています。参考:「活版印刷の魅力─印圧による凹凸表現の秘密に迫る

また、鋳造された金属活字自体も高さが揃っていることが求められます。活字鋳造の工程において活字のサイズを計測するツールを紹介しましたが、最新の注意を払って鋳造が行われていたことがうかがえます。すべての条件が整って、きれいな印刷が得られるということですね。

(写真1) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真1)印刷工程の解説パネル。

(写真2) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真2)復元された平台活版印刷機。

(ムービー1)平台活版印刷機ムービー。

製本──印刷した紙を折り、重ねて綴じて、本の形状に加工する

1階展示の最後は「製本」のコーナーです。パネルの案内は以下の通り(写真3)。

「製本された大きな紙を折り、重ね、固めて、立体的な本の形状に仕上げる工程です。

製本にはさまざまな手法があります。まず、表紙の形状によって、厚紙でくるまれた「上製本」、柔かい表紙の「並製本」に分類されます。背の固め方や綴じ方にも種類があります。流通や保存などの条件を考慮したうえで、最適な手法で本がつくられます。」(展示パネルの解説より)

(写真3) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真3)製本の案内パネル。

製本の工程で使われる機械や道具も展示されていました(写真4〜6)。現在では、製本工程は機械化されたオートメーションでライン化され、大量生産されるようになっています。POD(プリント・オン・デマンド)の印刷機では、帳合してプリントされ、折や中綴じまでの製本工程を自動でこなしてくれます。大きな製本工場を見学させていただくと、ラインに沿って本が形になっていく様子に驚かされます。

一方、手工芸的な手製本で作られる本も味わい深いものです。昔ながらの道具を拝見すると、本作りの奥深さを実感できました。

(写真4) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真4)

(写真5) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真5)

(写真6) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真6)
(写真4〜6)製本道具。
(展示の解説より)製本は、折る、切る、たたく、削る、塗る、締めるなど、さまざまな手法が用いられます。紙だけでなく、接着剤、糸、寒冷紗、革など、素材も豊富なため、道具の種類も多岐にわたります。背を固める膠(にかわ)や、紙を折る竹べら、上製本の丸い背を形づくる「コツ」など、昔ながらの道具が今も使われています。

(写真7)は「束見本」の展示です。束見本は、 製本のとき、本の厚みを確認するため、用紙・枚数などを実際の通りにして試作する見本です。表紙・カバー・化粧箱などの寸法を決定する基とななります。

(写真7) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真7)束見本。
(展示の解説より)1冊まるごと本番の用紙を使用して、本番と同じ製本方法でつくる見本です。束見本をつくることで、実際の背幅や重さが初めてわかります。出版社、デザイナー、製本会社は束見本を確認して、最終的な製本の仕様を決定していきます。

(写真8)は糸かがり綴じ機です。筆者は個人的に糸かがりの本が大好きです。ページの開きが良くなり、ビジュアルを見開きで見せたいときには重宝します。最近はコデックス装(糸綴の背中をそのまま見えるように本を仕立てる仮製本様式)が人気で、糸かがりの本やノートを見かける機会が増えています。糸かがりは手間と時間がかかりますので、贅沢な手法と言えるでしょう。

(写真9) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真8)糸かがり綴じ機。
糸や針金を使わないで綴じるには、背の部分を糊で固めます。これを「無線綴じ」と言います。 無線綴じは、背を一度切り落として接着面を作る「切断無線綴じ」と、切り込みを入れて糊を浸透させる「網代綴じ」に大別されます。

近年は、製本用の糊も進化しており、接着強度の高いPUR糊を使うことで、ページの開きをよくすることができるようになっています。

(写真3) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真3)製本の案内パネル。

(写真4) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真4)
(写真4〜6)製本道具。
(展示の解説より)製本は、折る、切る、たたく、削る、塗る、締めるなど、さまざまな手法が用いられます。紙だけでなく、接着剤、糸、寒冷紗、革など、素材も豊富なため、道具の種類も多岐にわたります。背を固める膠(にかわ)や、紙を折る竹べら、上製本の丸い背を形づくる「コツ」など、昔ながらの道具が今も使われています。

(写真5) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真5)

(写真6) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真6)

(写真7) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真7)束見本。
(展示の解説より)1冊まるごと本番の用紙を使用して、本番と同じ製本方法でつくる見本です。束見本をつくることで、実際の背幅や重さが初めてわかります。出版社、デザイナー、製本会社は束見本を確認して、最終的な製本の仕様を決定していきます。

(写真8) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真8)糸かがり綴じ機。
糸や針金を使わないで綴じるには、背の部分を糊で固めます。これを「無線綴じ」と言います。 無線綴じは、背を一度切り落として接着面を作る「切断無線綴じ」と、切り込みを入れて糊を浸透させる「網代綴じ」に大別されます。

大日本印刷がつくった本や雑誌

こうして、印刷・製本を終えた本は世の中に出回り、私たちの手元に届きます。大日本印刷 市谷工場では100年以上前から、膨大な数の本や雑誌を作ってきました。展示では、歴史に残る本や時代を象徴する雑誌など、貴重な本や雑誌を見ることもできました。解説と一緒に紹介します(写真9〜14)。

(写真9) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真9)「週刊平凡パンチ」(創刊号)、1964(昭和39)年、平凡出版
(展示の解説より)週刊誌創刊ブームの流れの中で創刊。ターゲットを明確にした雑誌が相次ぐなか、特にファッショナブルな青年男子を引きつけ、カルチャー雑誌の草分けとなりました。

(写真10) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真10)「週刊新潮」(創刊号)、1956(昭和31)年、新潮社
(展示の解説より)週刊誌は十分な製造能力を持つ新聞社だけが発行可能という当時の常識を覆して創刊。印刷会社が製造体制を強化したことで、出版社の週刊誌発行が可能になりました。これ以降、出版社系の週刊誌が続々と刊行されました。

(写真11) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真11)『広辞苑』(初版)、1955(昭和30)年、岩波書店
(展示の解説より)小さい文字を表現するため、ひと回り大きい9ポイントの活字で版を組み、その清刷りから縮小印刷を行いました。初版から最新版まで、本文には大日本印刷の書体「秀英体」が使用されています。

(写真12) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真12)「リーダーズ・ダイジェスト」(日本語版・創刊号)、1946(昭和21)年、日本リーダーズ・ダイジェスト社
(展示の解説より)米国の人気月刊誌『リーダーズ・ダイジェスト』の日本語版が創刊され、大日本印刷は英語版とともに印刷を受注。日本語版の発行部数は一時130万部に上りました。

『日米英会話手帳』、1945(昭和20)年、科学教材社
(展示の解説より)誠文堂新光社の社長(当時)・小川菊松が終戦の玉音放送を聞き、上京する汽車の中で発案したという英会話指南書。英会話79例を掲載した小冊子で、三カ月で360万部を売り上げました。

(写真13) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真13)「キング」(創刊号)、1925(大正14)年、大日本雄弁会講談社
日本で初めて発行部数100万部を超えた大衆雑誌。エピソード中心の立身出世物語や道徳的講和など、バラエティ豊かな読み物を手軽に楽しめる編集方針は、多くの読者を引きつけました。

(写真14) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真14)「ホトトギス」 百号八巻七号、1905(明治38)年、ほとゝ々ぎす
(展示の解説より)1897(明治30)年に創刊。120年以上にわたり出版を続けている俳句雑誌。当時大学講師だった夏目漱石が『我輩は猫である』『坊っちゃん』を発表したことでも知られています。

このコーナーでは、歴史的な印刷物が多数展示されています。古い書籍や雑誌からは、当時の世相を思い浮かべることができます。当時の読者がどんな知識を求めていたのかも推察できます。

筆者が強く引かれたのは、大判サイズの9ポイントの活字で組まれた「広辞苑」です。解説を読むと、大判の清刷りから縮小印刷を行ってコンパクトなサイズの「広辞苑」か作られたとあり、なるほどと思いました。

(写真9) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真9)「週刊平凡パンチ」(創刊号)、1964(昭和39)年、平凡出版
(展示の解説より)週刊誌創刊ブームの流れの中で創刊。ターゲットを明確にした雑誌が相次ぐなか、特にファッショナブルな青年男子を引きつけ、カルチャー雑誌の草分けとなりました。

(写真10) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真10)「週刊新潮」(創刊号)、1956(昭和31)年、新潮社
(展示の解説より)週刊誌は十分な製造能力を持つ新聞社だけが発行可能という当時の常識を覆して創刊。印刷会社が製造体制を強化したことで、出版社の週刊誌発行が可能になりました。これ以降、出版社系の週刊誌が続々と刊行されました。

(写真11) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真11)『広辞苑』(初版)、1955(昭和30)年、岩波書店
(展示の解説より)小さい文字を表現するため、ひと回り大きい9ポイントの活字で版を組み、その清刷りから縮小印刷を行いました。初版から最新版まで、本文には大日本印刷の書体「秀英体」が使用されています。

(写真12) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真12)「リーダーズ・ダイジェスト」(日本語版・創刊号)、1946(昭和21)年、日本リーダーズ・ダイジェスト社
(展示の解説より)米国の人気月刊誌『リーダーズ・ダイジェスト』の日本語版が創刊され、大日本印刷は英語版とともに印刷を受注。日本語版の発行部数は一時130万部に上りました。

『日米英会話手帳』、1945(昭和20)年、科学教材社
(展示の解説より)誠文堂新光社の社長(当時)・小川菊松が終戦の玉音放送を聞き、上京する汽車の中で発案したという英会話指南書。英会話79例を掲載した小冊子で、三カ月で360万部を売り上げました。

(写真13) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真13)「キング」(創刊号)、1925(大正14)年、大日本雄弁会講談社
日本で初めて発行部数100万部を超えた大衆雑誌。エピソード中心の立身出世物語や道徳的講和など、バラエティ豊かな読み物を手軽に楽しめる編集方針は、多くの読者を引きつけました。

(写真14) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真14)「ホトトギス」 百号八巻七号、1905(明治38)年、ほとゝ々ぎす
(展示の解説より)1897(明治30)年に創刊。120年以上にわたり出版を続けている俳句雑誌。当時大学講師だった夏目漱石が『我輩は猫である』『坊っちゃん』を発表したことでも知られています。

秀英体という書体

ここで、秀英体について少し掘り下げてみましょう。「市谷の杜 本と活字館」が保存している日本語の金属活字はすべて秀英体です。以下は、パネルからの抜粋です(写真15)。

「大日本印刷は前身である秀英舎の時代から、100年以上にわたり、書体を開発し続けてきました。それが秀英体です。

活字書体として誕生した秀英体は、「和文活字の二大潮流」と評され、現在のフォントデザインに大きな影響を与えてきました。気骨ある迫力の初号、流れるように繊細な三号、そして安心感と明るさを兼ね備えた秀英明朝Lなど、豊富なバリエーションで、現在も数多くの出版物に使用されています。

100年を超える年月の間に、文字をめぐる印刷環境は活版印刷からDTP、そしてデジタルフォントへと大きく変化を遂げてきました。秀英体は、こうした変化のなかで、デザインのアイデンティティを守りつつ、最新の印刷・組版システムに対応しながら出版・印刷文化を支え続けています。」

秀英体の歴史的な資料や、以前の印刷工場の写真はWebサイト「秀英体|DNP 大日本印刷株式会社」で詳しく見ることができます。中でも、映像アーカイブでは、貴重な写真や映像などの資料が満載です。「市谷の杜 本と活字館」の展示と合わせて見ることで、一層理解を深めることができるでしょう。

(写真15) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真15)秀英体という書体。

秀英体は、現在ではデジタルフォントとして新たに開発され、DTP環境で利用することができます。秀英体改刻の歴史的事業を記録した書籍『100年目の書体づくり―「秀英体 平成の大改刻」の記録』があります(写真16)。この本では、活版印刷時代の活字がどのようにデジタル化されていったのかが、克明に記録されています。また、日本語のデジタルフォントを作る工程を知ることもできます。

(写真16) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真16)『100年目の書体づくり──「秀英体 平成の大改刻」の記録』著者:大日本印刷株式会社。

デジタルに移植された秀英体のなかから代表的な書体を紹介しましょう(写真17)。書体の解説は、DNP、モリサワのサイトを参考にしました。

「秀英明朝L」は、書籍の作り手と読者の双方から高い評価を得てきた本文用書体です。安心感と明るさを兼ね備えた書体で、現在では出版・広告・電子メディアなどで利用されています。

「秀英初号明朝」は、大日本印刷の前身である秀英舎の時代から、100年以上にわたり開発を続けている書体で、ファンの多い書体です。漢字が持つ力強い線の動きと、スピード感のある仮名。筆使いを感じさせるデザインが特徴的な、見出し用書体です。

「秀英横太明朝」は秀英明朝をベースに漢字の横画を太く設定することで、映像やディスプレイ表示に適応した書体。秀英体の持つしなやかな筆の運びや太さの強弱を残すことで、明朝体の味わいや気品はそのままに、ゴシック体のような視認性を確保します。

「秀英にじみ明朝」は、「秀英明朝 L」をベースに、活版印刷による紙面上でのインクのにじみを再現した書体。線画にランダムな揺らぎや太み、丸み処理を施すことで、やわらかい印象をもったアナログ感やレトロ感を演出します。

(写真17) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真17)秀英体の書体より。右から順に「秀英明朝L」「秀英初号明朝」「秀英横太明朝」「秀英にじみ明朝」。

「秀英初号明朝 撰」は、「秀英初号明朝」の一部の文字を旧字バージョンに置き換えた書体です。一般的に標準的な字形と異なる文字は、IllustratorやInDesignの字形パネルを使って採字しますが、「秀英初号明朝 撰」を使用することで「秀英初号明朝」では表現できなかった、よりクラシカルな表現が可能になります。

「秀英初号明朝 撰」で入力した文字には、「文」のように右ハライの起筆に筆の入り(ひっかけ)を加えたもの、「八」部分の2画目に横画(はちやね)をともなうものなどの違いがあり、大日本印刷が出版印刷用に定めた字形ルールに従ってフォント化されています(写真18)。

旧字体の文字を使用する(あるいは必要とする)場面は限られるかもしれませんが、強いメッセージが表現できることに驚かされます。魅力的な書体のひとつだと思います。

(写真18) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真18)「秀英初号明朝 撰」では、旧字体への切り換えが可能です。

最後に、2021年8月末に書籍『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』(雪朱里 著、三省堂)を紹介します(写真19)。こちらの書籍の第9章「ベントン彫刻機の国産化」では、昭和23(1948)年、大日本印刷にベントン式母型彫刻機が導入された経緯が克明にレポートされています。ベントン式母型彫刻機の国産機の開発は、三省堂、大日本印刷、津上製作所との共同で進められました。戦後の印刷需要に応える活字の母型製作が急務であったことをうかがい知ることができます。印刷史を知る上でも貴重な資料になっています。

(写真19) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真19)『「書体」が生まれる: ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』雪 朱里 著、三省堂刊。

 

今回は「印刷」「製本」のコーナーを駆け足で紹介しました。本や雑誌などの歴史的な印刷物の展示は見応えがありました。「秀英体」の書体についても、少し掘り下げてみました。展示の中で辞書の「広辞苑」が秀英体を使っていることを知り、まじまじと眺めてしまいました。

辞書は、普段の仕事で何冊かを愛用していますが、展示を通じて改めて辞書の魅力を感じるようになりました。辞書は、組版においても、製本においても、時間と手間がかかります。誌面の細かな組版設計はもとより、紙の選択や造本設計など、出版社によりさまざまな工夫が凝らされていることを実感するようになりました。

次回は「市谷の杜 本と活字館」レポートの最終回になります。お楽しみに!

(写真15) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真15)秀英体という書体。

(写真16) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真16)『100年目の書体づくり──「秀英体 平成の大改刻」の記録』著者:大日本印刷株式会社。

(写真17) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真17)秀英体の書体より。右から順に「秀英明朝L」「秀英初号明朝」「秀英横太明朝」「秀英にじみ明朝」。

(写真18) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真18)「秀英初号明朝 撰」では、旧字体への切り換えが可能です。

(写真19) | 市谷の杜 本と活字館に行ってきました(第3回)

(写真19)『「書体」が生まれる: ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』雪 朱里 著、三省堂刊。

市谷の杜 本と活字館

市谷の杜 本と活字館

住所 162-8001 東京都新宿区市谷加賀町1-1-1 大日本印刷内
電話 03-6386-0555
開館 平日/11時30分〜20時
   土日祝/10時〜18時
休館 月・火(祝日の場合開館)
   入場無料
URL https://ichigaya-letterpress.jp/
※来館には予約が必要です。上記のWebサイトで営業日や時間を確認し、予約手続きを行ってください。

市谷の杜 本と活字館