森カズオ
漢字文化と活版印刷。
文字の種類が多い漢字文化圏。
日本および中国の漢字の総数は5万文字といわれている。表意文字のひとつである漢字は、どうしても種類が多くなるようだ。これらの漢字に加えて、日本にはひらかなとカタカナがある。まったくもって多様な文字文化を持っているのである。漢字検定が実施されたり、クイズ番組で漢字問題が人気を博すのは、この多様性が根底にある。結局は、ややこしいのだ。
一方、表音文字であるアルファベットは、わずか26文字(もちろん他に約物と呼ばれる記号がある)。文字自体に意味はなく(由来はある)、組み合わせによって意味を生み出すというシステムで使われている。実にシンプルなのである。半島で開発されたハングル文字も同じ仲間だ。記号の組み合わせで多様な意味をつくり出すのである。数列的に言葉があふれ出す感じなのだ。
現存する世界最古の印刷物は、日本にある。以前、コラムに書いた『百万塔陀羅尼』である。今を遡ること1300年ほど前の西暦770年に奈良の十大寺(大安寺・元興寺・法隆寺・東大寺・西大寺・興福寺・薬師寺・四天王寺・川原寺・崇福寺)に10万塔ずつ奉納された。木版で刷られたのではないか、というのが有力な説となっている。というのも、7世紀に中国では、擦仏という仏像印に墨を塗り、紙を乗せて印を写すという技法が開発されていたからです。これが伝わったのではないか、というのである。このように、漢字文化圏の初期の印刷は、個別の文字をつくり組み合わせる方法ではなく、全体を彫り込む木版が使われていた。多様な文字を持つ文化圏ならではの方法だったのである。
一方、ヨーロッパの国々では、長く書写という方法を用いて聖書の伝搬が行われていた。いわゆるストア派の人々が羊皮紙にペンで一文字ずつ書き写していくのである。当然、大量生産には向かない方法だから、聖書はとても貴重なものだった。百万塔陀羅尼のように100万部もつくることは難しかっただろう。それが、15世紀に入って大変革が起こる。そう、グーテンベルグが印刷機を発明したのだ。これで、一機に大量の聖書が刷れるようになった。ある意味で、世界が一変したのである。活字を組み合わせて印刷する活版印刷の誕生であった。
この活版印刷は、日本や中国などの漢字文化圏にももたらされた。これも先のコラムに書いたが、丁度、室町時代末期いわゆる戦国時代から織豊時代にかけて南蛮貿易を通じてグーテンベルグの印刷機が持ち込まれ、さまざまな大名や武将たちが活版印刷を体験し、普及に努めた。以前に書いた九州の大名たちが派遣した遣欧少年使節団も活版印刷を実際に行っているのである。そして、徳川家康も独自の活字を鋳造し、駿河版といわれる印刷部を刊行した。当時は、日本でも活字による印刷が脚光を浴びていたのである。
日本の印刷の根源は木版。
しかし、やはり日本は漢字文化圏の国であった。中国もそうであったが、活字による印刷では多様な文字に対応しきれず、木版で対応した方が手っ取り早いということであろうか、印刷物には主に木版が使われた。江戸期、日本では多彩な出版文化が花開いたが、いずれも出版物は木版印刷で刊行されていた。つまりは、日本および漢字文化圏の印刷の源流は木版にあるといえるのではないだろうか。その頂点のひとつともいえるのが浮世絵ではないかと考えている。絵師と彫り師と刷り師が、それぞれ競い合い、協力し合い三位一体となって作品作りを行う。日本ならではの分業体制のメリットを最大限に活かしたのである。私たちの先祖は、木版の技術を研ぎ澄まし、世界に誇れる出版物をつくり出したのである。
その後、幕末から明治維新にかけて、再び活字による印刷への注力が行われた。本木昌造氏をはじめ、先達たちの努力の結果、活版印刷は世に根を下ろすこととなった。以来、活版印刷は高度成長期にオフセット印刷に主流の座を奪われるまで、印刷の本道として位置づけられてきた。この文字種が多い漢字文化圏の中にあって、先達たちは、その高いハードルを乗り越え、印刷文化を構築してきたのである。
木版の意識を持った新しい活版印刷。
一時、劣勢を強いられていた活版印刷が、再び脚光を浴びている。それは圧をかけ、凹凸を表現する活版印刷である。かつてを知る職人さんたちの中には、圧をかけて凹凸をつけるなんて言語道断、活版印刷とは呼びたくないという方もいらっしゃると聞く。あるいは、版全体を金属や樹脂でつくり活字を使わないような印刷は活版印刷ではないと断言する声もある。私自身も本来の活版印刷を守り続けるには確かに大切なことだろうと感じている。しかし、時代は移りゆくものである。
例えば、伝統芸能がそうであるように、伝統と言いながら、時代に合わせて変化しているのである。時代の移り変わりに対応できないものは、ただただ滅びゆくしか道がない。2億年以上も地球に君臨した恐竜たちは、地球環境の変化に対応しきれずに絶滅の道をたどったではないか。逆に音楽を聴くスタイルがダウンロード主流になった今でも、最もアナログなレコードがちゃんと生き残っている。時代の流れをつかんでいれば、伝統は生き残って、後世に継いでいけるのである。そういった意味で、現在の活版印刷には大いなる期待を寄せている。IoTやICTの世界観にはない、人と機械のつながりや手を使ったモノづくりというヒューマナイズされている世界観がなんとも心地よいのだ。
大量生産・大量消費・大量投棄の時代が終焉を迎えようとしている現在。活版印刷は、印刷の主流とはならずとも、大きな比重を占める存在になりえるのではないかと考えている。そして、一部の専門職だけが独占するものではなく、多くの一般人が楽しめるスタイルに育っていってほしいと願っている。そう、ひとつの「文化」となってほしいのである。
そのためにも、時代の流れを汲みとり、漢字文化圏に生きていること、木版印刷のDNAを持っていることを意識しながら活版印刷と向き合っていきたいと考えている。