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森カズオ
平城京の怪僧が生みだした現存する世界最古の印刷物
『百万塔陀羅尼経』。

百万塔陀羅尼 - 活版印刷事始 | 森カズオ

皆さんは、道鏡という人物をご存じだろうか。女帝・称徳天皇に取り入って天皇になろうとした怪僧として伝えられている奈良時代(8世紀中頃)の人物である。20世紀初頭、ロシア皇帝に寵愛され、ロマノフ朝崩壊の原因となった怪僧ラスプーチンと並べて語られることも多い。出自は6世紀の仏教導入の際、賛成派の蘇我氏と争い負けた反対勢力・物部氏の流れをくむ弓削氏と伝わる。仏教に反対していた氏一族の末裔が僧になっているのだから、なんとも歴史とは皮肉なものである。ちなみに称徳天皇というのは、東大寺を建立した45代の聖武天皇の娘で、孝謙帝として46代天皇の位に就いていたが、47代の淳仁天皇に譲位。淳仁帝排斥後、再び48代天皇に即位(これを重祚という)した人物で、「藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱」を引き起こしたことで知られている。彼女が道鏡を寵愛したことが、乱の原因となったのである。

孝謙天皇は、在位初期には、従兄弟に当たる藤原仲麻呂を重用した。その背景には、聖武天皇の妃である光明皇太后が仲麻呂の伯母であり、朝廷内で権勢をふるっていたことも理由にあった。そんな中、天平宝字2(758)年、孝謙天皇は、仲麻呂との関わりの深かった49代淳仁天皇に譲位し、上皇となる。その時、仲麻呂は、「恵美押勝」という名を授かるのである。しかし、天皇位は譲ったものの孝謙上皇は政治の実権を握っていた。そこに現れたのが怪僧・道鏡である。

道鏡は、祈祷により孝謙上皇の病気を平癒させ、信頼を得ることに成功する。そして、僧でありながら政治の場で権勢をふるうようになっていく。逆に、仲麻呂は、後ろ楯だった光明皇太后の崩御も重なり、立場を失い、上皇から冷遇されはじめる。淳仁帝とともに上皇に道鏡排斥を訴えるが、その行為が上皇の逆鱗に触れることになり、ついに上皇は、仲麻呂の権限を取り上げ、財産を没収し、藤原姓をはく奪する。

天平宝字8(764)年、仲麻呂は反旗を翻す。密かに平城京を抜け出し、一族の本拠地である美濃を目指すが、吉備真備率いる官軍に待ち伏せされ、近江と越前の境・愛発関で討ち取られてしまう。これが、いわゆる「藤原仲麻呂の乱」である。乱の後、淳仁天皇は位をはく奪され淡路島に配流となり、上皇が重祚して称徳天皇となった。

仲麻呂亡き後、道鏡の権勢はますます強まる。太政大臣禅師、法王の位を与えられ国政の頂点を極めたのである。そして、彼は東大寺の下部施設である国分寺の建立拡大など仏教の普及につながる政策を展開していく。その中のひとつにあったのが百万塔の奉納だった。この塔に納められた陀羅尼経が、現在、現存する世界最古の印刷物として知られている『百万塔陀羅尼』である。

百万塔の奉納は、「藤原仲麻呂の乱」の際に戦死した幾多の将兵の菩提を弔うことと鎮護国家を祈念するために称徳天皇の発願で行われた。「無垢浄光大陀羅尼経」に基づいて、陀羅尼経を100万巻印刷し、高さ20センチほどの小型の塔に納めて10万基ずつ大安寺・元興寺・法隆寺・東大寺・西大寺・興福寺・薬師寺・四天王寺・川原寺・崇福寺の十大寺に奉納するという大規模な国家事業であった。塔の100万基の内、現存するものは法隆寺にある約4万4千基と個人蔵などの若干数、経は約2千巻とされている。

塔の中に納められた「陀羅尼経」には、自心印、根本、相輪、六度の4種類があり、幅は約5.4センチ、長さは最長の根本陀羅尼経で51.5センチ、最も短い六度陀羅尼経でも27.2センチある。そこに1列5文字の経文が整然と印刷されているのである。用紙の材料としては麻、黄麻、殻(かじ)の3種類を使われていたと考えられている。これらの経文は当時の技術から木版で刷られたと推定されているが、100万巻もつくられたことから金属版を使ったという説も唱えられている。版の素材はともかく、現存する製造年が判明(日本書紀による)している凸版印刷では、世界最古なのである。まさにcappanの精神的源流のひとつと考えてもいいだろう。

怪僧・道鏡のおかげで誕生した『百万塔陀羅尼』であるが、それらが実際に奉納されたのは、称徳天皇が崩御する宝亀元(770)年のことだった。発願より6年の歳月を経ての成就であった。100万巻の経文の印刷は、これほどの長い時間が必要な大事業だったのだろう。

天皇譲位の神託を受けるほど権勢を究めた道鏡であったが、称徳天皇亡き後、瞬く間に失脚し、下野に左遷され2年後に寂しくこの世を去る。さまざまな伝説を後世に伝える道鏡であるが、世界最古の印刷物を遺したのも彼の伝説のひとつであるということは、なんとも不思議な趣を持っている。

百万塔陀羅尼 - 活版印刷事始 | 森カズオ