生田信一(ファーインク)
「字心」─ 活版・活字をエンターテインメントに!
「字心」は、活版印刷の文化を今に生かすプロジェクトです。活動目的は「字心」のホームページに以下のように紹介されています。
「私たち「字心」は、活版印刷を中心に活字を通して、活版印刷の従来の技術・生産方法に拘らず、また、活版印刷という範囲に留まらず、活字という文化の古き良きを「新しい」に変えて、でも味わいや質感を残した「心に響く」を作り変えることで、人々のくらしや心を少しでも豊かに、楽しくする、そんな商品・サービスをお届けしていきます」
このプロジェクトを運営するのは、横浜に拠点を持つ3つの会社、活字鋳造メーカーの株式会社築地活字)、出版社の株式会社なまためプリント、セールスプロモーションの株式会社アーリークロスです。「字心」の具体的な活動や今後の展開のお話を聞くために横浜の馬車道大津ビルを訪れ、なまためプリント 代表取締役社長 生天目真さん、株式会社アーリークロス 代表取締役 落合雄さんにお話を伺いました。
1936年建造の歴史的建物、馬車道大津ビルを訪ねる
今回の取材では楽しみにしていたことがあります。それは、なまためプリント、アーリークロスの2社のオフィスが横浜の馬車道添いにある歴史的建造物、馬車道大津ビルに入居していることでした。このビルは1936年(昭和11年)に竣工され、現在でもきれいな状態で維持され、横浜の名所になっています。ビルは地上4階・地下1階建で、地上階は貸オフィス、地下はギャラリーとして利用されています。2000年度に、横浜市認定歴史的建造物に選定されました(写真1〜3)。
ビルの中に入ると、内装はとてもきれいで、照明やこまかな装飾にも思わず目が行きます。屋上に登ると、通り向かいの神奈川県立歴史博物館(1904年竣工)が一望できます(写真4)。なんてうらやましいオフィス環境でしょう。
「字心」プロジェクトの活動
「字心」は2017年にスタートしました。これまで手がけられてきたプロダクトや活動を紹介しましょう。
まず最初に紹介するのが「活版しおり」です。しおりは名刺サイズで、文豪の残した言葉とイラストがあしらわれています。活版印刷の風合いを楽しみながら読書の時間を過ごすことができる魅力的なプロダクトです。活版しおりにはシリーズがあり、現在販売しているのは「漱石撰シリーズ 活版しおり 「猫の独白」」と「夢幻泡影シリーズ 活版しおり 「文豪三傑」」の2種(写真5、6)。今後もさまざまな展開が期待される商品です。
活版しおりは、鎌倉文学館で販売されており、売れ行きも好調とのこと。「SNSで活版しおりの存在を知って買い求めるお客様もいらっしゃると伺って、とてもうれしいです」と、落合さんは語ります。
字心は、活版印刷の名刺やショップカード、はがきなどを受託して制作するサービスも行っています。ビルの向かいの神奈川県立歴史博物館では、「活版名刺をつくってみませんか!」のPOPを掲げ、金属活字で組んだ印刷版や印刷見本を展示しています。発注は簡単で、名刺に必要な文字を申込用紙に記入するだけで活版名刺をオーダーすることができます(写真7、8)。
この活版印刷のオーダーでは、金属活字で文字が組まれることが大きな特徴です。かつてはビジネス街でよく見受けられた名刺印刷のサービスを知っている人には、懐かしさを感じるでしょう。一方では、金属活字で組んだ活版名刺を知らない若い世代はどのように受け止めているのか、とても興味深い試みです。さらに、今後は神奈川近代文学館でも取扱われる予定です。
字心では、名刺以外のさまざまな印刷物も受託しています。ロゴやシンボル、イラストなどの絵柄は活字では表現できないため、樹脂版を使用して制作されます。作例を拝見すると、樹脂版と金属活字の組み合わせでも活版印刷特有の独特な風合いが表れることわかります(写真9〜11)。費用は通常の印刷よりやや高くなりますが、お客様が印刷物のどこに価値を見出すかが、これからは重要になっていくのでしょう。字心の受託サービスについては、「字心〜JIGOKORO〜|受託サービス」のWebページを参照してください。
活版グッズの新製品を特別に公開!
取材では、今後製品化されるグッズの試作品を特別に公開していただきました。内容やデータは既に出来上がっており、印刷のタイミングを待つ状態とのことです。一足先にご紹介しましょう。
(写真12)は、「活版しおり 花鳥風月(万葉集より)」の試作品です。名刺タイプと違って縦長の形状で、しおりとして使いやすいサイズになっています。「活版しおり 花鳥風月」には「万葉集」の和歌が刷られる予定で、令和の発表前から万葉集に着目していました。紙は厚手のものを採用しているので、文字がしっかり載り、手で触わって質感を楽しむことができます。裏面には和歌の現代語訳が印刷されています。読書しながら和歌に親しむことができるグッズで、幅広い年齢層の方に受け入れていただけるのではないでしょうか。
『活版書籍 はじまりの言葉「令和」』は、文庫本サイズの書籍です(写真13)。「活版しおり 花鳥風月」に着想していたことから、令和の発表を受けたときに縁を感じ、書籍化を決断しました。この書籍の副題には「万葉集 梅花の歌三十二首併せて序」と謳われています。新元号の「令和」の出典が日本最古の歌集「万葉集」の梅花の歌、三十二首の序文であることはニュースなどでご存知の方も多いでしょう。収められた三十二種の和歌には、現代語訳や解説がまとめられ、楽しい読み物になっています。
書籍のように文字量が多い印刷物では金属活字で文字を組むのは大変な作業になるので、各ページの文字組みやレイアウトはデジタルで作成しています。しかし、最終の印刷では樹脂版を使った活版印刷になるとのこと。こちらも出来上がりが楽しみです。
なまためプリント、アーリークロスの出版事業
今回の取材では、神奈川で約50年、出版事業を手がけてこられたなまためプリントさんの刊行物をぜひ拝見したいという思いがありました。地域で刊行される出版物は、その地域でしか見ることができません。ホームページの出版目録を拝見すると、おもしろそうなタイトルの書籍が並んでいました。
なまためプリントの生天目さんは「当社は元々は組版を専門とする会社としてスタートしました。組版の技術も手動写植機から電算写植システム、そして今日のMacやWindowsのDTPへと変化しています。さまざまな定期刊行物や書籍を作っていくなかで、組版・印刷だけでなく、取材や編集のノウハウが蓄積されてきたことがなまためプリントの強みになっています」と話します。
これまで刊行された定期刊行物の中では、季刊誌「神奈川YOU楽帖」を長年続けてきたことが、今日のなまためプリントの土台になったのではないかと思われます(写真14)。「神奈川YOU楽帖」の刊行の経緯を、なまためプリントのサイトから引用します。
「神奈川にふるさとを求める切なる気持ちがこの雑誌の出発点。季刊「神奈川 YOU楽帖」は昭和63年、かつて有隣堂社長であった松信泰輔氏が発行人となり、神奈川図書の田坂廣士及び小林伸男の両氏が編集人、そして表紙を版画家高橋幸子氏が担当して発足しました。
そして平成5年、第23号より発行人 生天目勇(当時 株式会社なまためプリント社長)、編集長 迫田満夫氏へと引き継がれました歴史ある雑誌です。発刊以来15年 多くの方にご愛読いただき、平成14年1月 第56号をもって休刊しました」
限られた納期の中で雑誌を毎号編集、制作するのは大変な作業です。本一冊を仕上げることも根気が要る作業ですが、雑誌の場合は短いサイクルで紙面をスピーディーに作っていかなければならないので、いろんなノウハウが吸収できたのではないかと推測します。
定期刊行物の最新の事例として、アーリークロスの落合さんがデザイン・印刷を手がける地域誌「SPORTSよこはま」を見せていただきました(写真15)。こちらは隔月刊発行のフリーペーパー。最新号の記事はWebで閲覧することもできます。
雑誌の刊行形態や情報発信の仕方はWebメディアの急速な進展の中でずいぶん変わってきました。紙メディアで活字を使って情報を配信することの役割が改めて問い直されていることを最近強く感じます。そうした活字への思いが字心プロジェクトの中にも生きているのではないかと思います。
なまためプリントは書籍コードを持つ出版社でもあるのですが、公孫樹舎はなまためプリントの出版部門の名称です。公孫樹舎から刊行されている書籍をいくつかご紹介しましょう。これまで刊行された書籍は「なまためプリント|刊行物」のページで見ることができます。神奈川の地域に根差したテーマの書籍が多く、他では見ることができないユニークな構成になっています。
中でも驚いたのは、『太平年表録 完全復刻版 全7編』(藤間柳庵 著)のセットです(写真16〜18)。『太平年表録』は、ペリーが来航する嘉永6(1853)年に始まって、徳川幕府が崩壊して間もない明治5(1872)年の間に生起した政治、外交、社会の出来事について、著者の柳庵が入手した情報資料、あるいは柳庵自身が執筆した文章を、年代順に書き記したものです。歴史的資料として高い価値を持ち、限定で200部発行されました。
さらに驚いたのは、歴史的資料を現代に復刻する印刷複製技術です。長年保管されていた原本を忠実に印刷で再現し、和綴じ製本で美しくまとまられた書籍のセットは、惚れ惚れするような出来栄えでした。
(写真19)は『蒲原有明の周辺』(笠原實 著)。この本は、「蒲原有明を知る会」が主催した『蒲原有明旧居跡』碑建立(除幕式)と、『有明忌命名式』に於いて行なわれた二度の記念講演をベースにまとめられたもの、と解説されています。
この本が生まれたきっかけについて、生天目さんからおもしろいお話をお聞きしました。生天目さんのご自宅が蒲原有明の住居跡から近く、なまためプリントを経営するお父様の生天目勇さんが銘板を作成し、ご自宅に掲げていたそうです。銘板作成のために金属活字で文字組みした組版と清刷りの実物を見せていただきました(写真20、21)。金属活字の組版として素晴らしい出来栄えです。
さらに、現在この宅地に住む孫の蒲原一正さんが銘板のことを知り、生天目勇さんとの交流が始まったそうです。2010年に、蒲原有明の住居跡を示す文学碑が設置されました。このとき生天目勇さんは作製に協力するため、仲間や専門家らと市民グループ「蒲原有明を知る会」(生天目勇代表)を設立し、碑の文面の考案や設計などに当たり尽力されたそうです。神奈川の郷土を愛する、生天目さんらしいエピソードですね。
なまためプリントの浮世絵コレクション
先に紹介した『太平年表録 完全復刻版 全7編』(藤間柳庵 著)と関連しますが、藤間家には200点近くの浮世絵版画を所有しています。このことを生天目勇さんが茅ヶ崎市美術館に伝えたことがきっかけで、同美術館で「茅ヶ崎市美術館開館15年・藤間柳庵歿後130年記念企画展 藤間家所蔵 文人名主由縁浮世絵」と題した展覧会が開かれました。
(写真22)の『藤間家所蔵浮世絵全覧』(発行:藤間雄蔵、編著:藤澤茜)は藤間家所蔵の浮世絵コレクションをまとめた図録です。役者絵を中心とした全439点の貴重な浮世絵コレクションで、なかでも庶民の娯楽の華であった歌舞伎の舞台や、人気役者を描いた役者絵が大部分を占めているのが特徴です。役者絵のほかに、美人絵や名所絵などの優品も収録されています。
加えて、なまためプリントでは、全439点の貴重な浮世絵版画コレクションを所有しています。浮世絵はすべてデータ化されており、画像データの使用のライセンス契約を結ぶことで、ノベルティや訪日外国人向けの商品への使用が可能です。画像は、人物の切り抜きなどの加工が可能であるため、さまざまなグッズに展開する際に重宝します(写真23〜27)。
今回の取材を通して、印刷や本作りのおもしろさと奥深さを改めて学ぶことができました。雑誌や書籍は、取材や執筆から始まり、編集、組版、デザイン、印刷という工程を経てようやく出来上がります。大勢のスタッフに支えられて成り立っています。狭い分野に閉じこもるのではなく、横の連携がとても大切であることが実感できました。
字心プロジェクトは得意分野が異なる3つの会社が共同で企画・運営しています。それぞれの会社の強みを掛け合わせることで、活字の魅力がさらに広がっていく予感があります。今後の展開に注目していきたいです。
次回は字心プロジェクトのもうひとつの会社、株式会社築地活字さんを訪問したレポートをお送りする予定です。では、お楽しみに。
[プロフィール]
株式会社なまためプリント 生天目 真
横浜・馬車道の歴史あるビルで営業するDTP制作から出版まで手掛ける印刷会社。“美しい文字組版”をモットーに活動している。約50年間にわたり、大手印刷会社から個人のお客様まで幅広い対応の中で培った経験を活かし平成16年に出版社コードを取得。出版部「公孫樹舎」を立ち上げる。
平成22年には日本象徴詩の大成者 蒲原有明の文学碑を鎌倉・二階堂に建立。最近では有明が晩年に書き残した『蒲原有明日記』を令和元年11月下旬に上梓。また、439点に上る浮世絵コレクションも弊社の特色となっている。
ホームページ: http://www.namatame-p.co.jp/index.html
[プロフィール]
株式会社アーリークロス 落合 雄
広告企画会社、セールプロモーション会社にて、大手電気通信事業者の広告・プロモーション企画に従事。また、大手百貨店から中堅チェーンストアなど小売店・流通業の広告企画、インストアプロモーションも手掛けた。その他、ISP・映像配信サービス、教育研修、電気機器、食品、光学機器・電子機器、ソフトウェア、シェアードサービス、自治体など多岐に渡る企業の広告企画、プロデュースも従事している。基本的には、お客様の販売課題を聞き、その解決方法を提案するスタイルで、モノ・サービスが売れるという視点から、販売促進スキームの提案を行い、必要に合わせたツール・イベント、営業方法、広告方法を提案・経験させていただくスタイル。
ホームページ: http://www.earlycross.yokohama/company.html