紙ノ余白
繊維への想い・越前和紙を訪ねて
「赤筋が入ってしもうて今年は楮の出来が悪かったんだ。」
とこちらがご挨拶する間もなく楮のお話。
この方の和紙は漉き舟の前に立つ前から出来上がっている。
とご説明を聴きながら思いました。
岩野市兵衛さん84歳。
人間国宝として多くの人々にその名を知られ、何度も何度も取材を受け、何度も何度も説明をされてきたでしょう。
でもその説明はどこも省略されることもなく、一度話始めると止まらない熱意はずっと変わりません。
幾度も馬連で擦られる木版画のための和紙の強度と美しさを極めてこられてきた方。
つまり、版が刷られ鑑賞される表だけでなく、和紙の裏、つまり「背中」にもこだわってこられたのです。
その秘密は「叩解」という工程にあるのかもしれません。
「叩解(こうかい)」とは煮た後の楮や三椏などの束状になっている繊維をほぐし、適当な長さや幅に切ったりする工程のことで、もともとは棒や木槌で打ち叩く手作業ですが、大変な重労働なので、近年は臼つき叩解機や薙刀ビーターなど機械が用いられることがほとんどです。
市兵衛さんはこの工程を棒を2本使った手叩きでの作業と、その作業をある程度再現できる臼つき叩解機、そして薙刀ビーター、の3種類の方法全てで行っておられます。
それぞれの方法でしかできないことをそれぞれの適度な時間で行う。
その目的は、繊維をできるだけ傷めず、長いまま絡みやすいほぐすこと。
薙刀ビーターひとつでも、この工程はできてしまうのですが、それでは市兵衛さんが目指す繊維ではなくなってしまうのです。
本当なら全て手叩きだけでしたい。
でもそれでは、体力時間とも間に合わない。
どうすれば最善かと試行錯誤されて編み出された方法でしょう。
私も手叩きを自分の工房でしましたが、想像以上に大変だったのは、身体ごとかかりっきりになるので「何かをしながら何かをする」ということができないじれったさに苦しんだことです。
それと手で叩ける量の限界のジレンマを感じました。
これを代わりにできる機械が横にありながら、敢えて手叩きをする、というのは何と強い想いだろうと思います。
誰にも見えない、気づかれないところでの繊維への深い想い。
手叩きを今は行っていない産地にも方法も道具、リズムがそれぞれにあります。
木の棒が1本であったり、両手で2本持って交互に叩く場合、木槌の叩く面が菊の花のように切り込みがる場合や緩やかな曲面の場合…
叩く回数や叩く方向が決められていて、叩く時に唄う歌が受け継がれている産地もあります。
それは漉き手それぞれが目指す繊維を作り出すために試行錯誤してきた歴史です。
改めてこの工程の歴史も知りたいと思った旅でもありました。
雪が降る前の越前は新蕎麦の季節。
お昼に越前蕎麦を頂きました。
前回の長野内山でも信州の新蕎麦を、そういえば、斐伊川和紙を訪ねた島根奥出雲でもお蕎麦を頂きました。
水が美しく美味しい土地の食文化と和紙の関わりも興味深いです。
photo:千田誠次