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白須美紀
【活版クリエイター紹介 vol.11】
活版にこだわらず、活版をいかしきる
江戸堀印刷所

写真1 | 【活版クリエイター紹介 vol.11】活版にこだわらず、活版をいかしきる 江戸堀印刷所 | 白須美紀 | 活版印刷研究所

街に溶け込む印刷所

街路樹が美しい影を落とすガラス張りのオフィス兼工房でまず目をひくのは、黒い機体が風格ある活版印刷機、ハイデルベルグ社のプラテンだ。奥には活字が並ぶ木棚もあり、打ち合せのスペースもある。活版印刷に馴染みのない人なら、ガラスにある「江戸堀印刷所」の名前を見るまでは、ここが何の空間なのか分からないかもしれない。だが不思議と「素敵なものが生まれる場所」であることは、しっかりと伝わってくる。店の佇まいがそんな表情をしているのだ。
「『歩いていて見つけた』とか、『ずっと気になっていた』といって来てくださるお客様も多いんですよ」
と話すのは、店長の小野香織さん。ガラス張りにしたのは、街に馴染み、誰でも気軽に訪問してもらえるお店にするためだという。その言葉どおり、江戸堀印刷所は街に溶け込んでいる。「印刷機を動かしていると、学校帰りの小学生たちがガラスに張りついて見学していたりするんです」という小野さんの言葉に、印刷を担当する長岡伸二さんも頷く。
「散歩中の犬に吠えられることもありましたね。はじめは恥ずかしかったけど、ずいぶん慣れました」
江戸堀印刷所がオープンしたのは、2011年秋のこと。以来今日まで、小野さんと長岡さんのふたりが、この印刷所を切り盛りしてきた。

写真2 | 【活版クリエイター紹介 vol.11】活版にこだわらず、活版をいかしきる 江戸堀印刷所 | 白須美紀 | 活版印刷研究所

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すべては社長のロマンからはじまった

江戸堀印刷所の母体は、あさひ高速印刷という会社だ。昭和25年創業の老舗で、軽オフセットからデジタルオンデマンドまで多種多様な印刷を行っている。だがその歴史のなかで活版を印刷したことはかつて無かったという。廃業する会社から活字を譲り受け、すでに中古のプラテンも入手していた社長が、「活版印刷を再興させたい」と2011年に江戸堀印刷所を立ち上げたのだ。そしてあさひ高速の社員である小野さんと長岡さんが、江戸堀印刷所の担当を任されることになった。
「社長のロマンがすべてのはじまりですね」
と、長岡さんは笑う。就職してからずっとあさひ高速で印刷をしてきた長岡さん自身も、工業高校時代の実技経験をのぞけば、活版印刷の経験はもちろん無い。なのに社長から「プラテンを頼む」と言われてしまったのだ。実力と人柄を買ってのこととはいえ、なかなかな無茶ぶりである。だがこのレトロなマシンは、社長だけでなく長岡さんの心もとらえてしまった。
「一目みて『こいつとは仲良くなれそうだな』と思いました。本社にあるアナログのオフセットマシンと似たところがありましたし、デジタル機器と違ってつくりがシンプルですから、自分の工夫で動いてくれると思ったんです」
その予感は当たった。活版の仕事が入るたびに長岡さんはプラテンを理解し、徐々に使いこなすようになっていった。店頭には、細かなデザインが刷られた見本が飾られており、長岡さんの技術の高さが伝わってくる。

お客様の窓口となり印刷プランを提案する小野さんも、当然活版印刷は初めてだった。紙との相性やデザインの限界など、慣れ親しんだ印刷とはまた違った活版ならではの特性を、仕事を通して把握していったという。
「お客様と一緒に成長してきた感じですね。今でもしっかりお話をして、活版印刷にする場合はできるだけ立ち会っていただくようにしています」

あさひ高速社長の活版愛は、江戸堀印刷所に置かれたもうひとつの小さな活版印刷機にも現れている。朗文堂が復刻した卓上の手刷り活版印刷機・Adana-21J。2007年製の初号機だが、なんとシリアルナンバーが1番なのだ。復刻の噂を聞いた社長が喜び勇んで注文したところ、一番乗りだったのだという。

そのエピソードをニコニコと教えてくれる2人を見ながら、部下の能力を理解し無茶ぶりできるリーダーと、その期待にしっかりと応える有能な部下というのは、いつの時代も理想の組み合わせだな、と思う。はじめた頃は「日本一下手くそな活版印刷屋さん」を自称していたというが、努力のかいあって今では笑い話。「まだまだお客様に教わることばかりですよ」と2人はいうが、設立から7年が経ち、社長の夢は少しずつ形になっているようだ。

写真4 | 【活版クリエイター紹介 vol.11】活版にこだわらず、活版をいかしきる 江戸堀印刷所 | 白須美紀 | 活版印刷研究所

写真5 | 【活版クリエイター紹介 vol.11】活版にこだわらず、活版をいかしきる 江戸堀印刷所 | 白須美紀 | 活版印刷研究所

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魅惑の印刷ワールド

とはいえ、実のところ「活版印刷だけにこだわらない提案ができる」というのが本社工場のある江戸堀印刷所の一番の強みでもあるのだ。

店には活版以外の印刷見本も置いてあり、思わず目を奪われてしまう。マスターペーパーと呼ばれる紙の版を使い軽オフセット機で刷ったもの、敢えて線数を粗く製版したもの、それぞれの線数を変えた2版で刷ったものなど、見たことのない刷りあじの印刷物がずらりと並んでいる。型抜きやUVシルク印刷など後加工も多彩。どれもたいへん凝っているし、とても面白い。そしてこうしたオフセットやオンデマンドと活版との併用も可能だというのだ。そうなると、活版印刷の可能性も、途方もなく広がる。
グラフィックデザイナーからの依頼も多く、写真集やアート本の仕事が少なくないというのも頷ける話だ。

小野さんが記録しているこれまでの仕事の資料もまた見ごたえがあった。細かな試し刷りなどもきちんと整理保管されているので、再印刷に役立つだけではなく、新しく頼むときにどの紙でどの印刷をすればどんな仕上がりになるか、想像がつきやすい。お客様にアドバイスをするときも、こうした資料とデータがとても役立つはずだ。

江戸堀印刷所では、名刺やポストカード、リトルプレスやZINEなどの冊子、ノートやメモといったオリジナルステーショナリーなど、作りたいものは何でも相談できる。顧客もプロだけではない。文芸冊子をつくりにきた年配の姉妹、大学の先生や芸人の自費出版など、実にさまざま。
「ひとつとして同じものがないので、やってて飽きませんねえ」
と、長岡さんは本当に楽しそうに語った。
そしてこんな風にいつも穏やかな長岡さんだからこそ、色んな挑戦ができるのだと小野さんはいう。
「とても頼もしいです。何でも面白がって引き受けてくれるので、お客様からの難しい案件も相談しやすいんですよ」
店をガラス張りにしたのは、どんなお客様にも開かれた場所でありたいという願いからだが、2人のお人柄が、さらに江戸堀印刷所の風通しをよくしているのは明らかだ。

小野さんにこれから挑戦したいことがあるかを尋ねてみると、自作のノートや紙袋を見せてくれた。工場にある余り紙でつくったオリジナルグッズの試作品だという。どれも紙に個性があり、センスがよくて、欲しくなるものばかり。だが、忙しくて時間が取れず製品化までにはいたっていないのだそう。

お洒落な活版印刷所だと思って訪問したら、多彩で濃密なプロフェッショナルの世界が広がっていた……江戸堀印刷所はそんな場所だ。いつか小野さんがつくるオリジナルグッズも形になるだろう。今からその日が楽しみでしかたがない。

写真7 | 【活版クリエイター紹介 vol.11】活版にこだわらず、活版をいかしきる 江戸堀印刷所 | 白須美紀 | 活版印刷研究所

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江戸堀印刷所

小野香織(左) 長岡伸二(右)

写真 小野香織(左) 長岡伸二(右) | 【活版クリエイター紹介 vol.11】活版にこだわらず、活版をいかしきる 江戸堀印刷所 | 白須美紀 | 活版印刷研究所

住 大阪市西区江戸堀1-26-18 ユニハイム江戸堀104
電 06-4803-8106
休 土曜・日曜・祝日休
交 地下鉄「肥後橋」駅、「阿波座」駅、京阪「中之島」駅

写真 小野香織(左) 長岡伸二(右) | 【活版クリエイター紹介 vol.11】活版にこだわらず、活版をいかしきる 江戸堀印刷所 | 白須美紀 | 活版印刷研究所