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図書館資料保存ワークショップ
[図書館に修復室をツクろう!]㊲
図書館と災害、図書館と戦禍

今年も日本はたびたび災害に見舞われました。最近のニュースでは、ドイツの環境NGOが日本は豪雨や猛暑など世界で最悪の被害を受けたと発表したそうです。

図書館の本や資料も豪雨で河川が氾濫し、水を被ってしまったという被害も多かったと思われます。紙でできている書籍などの水濡れ被害は今に始まったことではないので、最近では対応方法や修復技術が進み、私たち図書館員も「水を被った資料は、まず冷凍する。」ということを常識として知っているほど普及もしています。

大学の図書館は古い本、古典籍、古文書など過去の主に紙に記録された資料を各図書館で何万、何百万と所蔵しています。それらを将来の図書館の利用者が読めるように保存する使命を課されています。勿論IoTの時代ですから、本の中身、テキストや画像は、どんどんデジタル化されて、ネットで誰でも自由に見ることもできるようになりました。これから紹介する論文も誰でもネットで読むことができます。

しかし、ネット上でデジタル化されたものを読んだ図書館利用者は、オリジナルを見たくなるという欲求が出てくるものらしい。ということも分かってきました。江戸時代の写本であれば、どんな和紙に書かれているのか、画像では墨の汚れにしか見えないけれど、どうも前後の意味が通じない??現物を確かめたい。などということは、十分予測できます。

ということで、大学図書館では物としての図書やその他いろいろの所蔵資料を引き継いでゆくための保存・保管についての職員向け講習会も開催されています。

代表的な講習会は一橋大学社会科学古典資料センターで開催されています。というか西洋の古典資料、つまり、明治以後に輸入された革装丁の洋古書などに代表される資料についての講習会は、こちらが唯一無二と言っても良いのではないでしょうか。

今年度も10月から11月にかけて国立市の一橋大学で開催されました。講習内容は社会科学の学問研究、例えば「19 世紀フランス社会思想の一展開」という学問内容そのものについての講義、書誌学と呼ばれる書物の目録の作成について、そして資料の保存・管理について等々です。講習会資料もネットにアップされていますので、誰でも日進月歩の保存・保管の施設や方法について学ぶことができます。

一橋大学兼松講堂(国登録有形文化財) | 図書館と災害 、 図書館と戦禍

一橋大学兼松講堂(国登録有形文化財)
(参考:Wikipedia

しかし、このコラムでは、もう少し図書館というものそのものに関わるお話を書いてみたいと思います。これは先に講習会の講義例として挙げた「19 世紀フランス社会思想の一展開」という講義をされた福島知己先生の書かれた論文からの紹介です。そして事例として紹介されているのは書物の焼失という、どのようにしても修復不可能な被害です。

「極窮の図書館―福田徳三の大学図書館観」という題の論文で『一橋大学附属図書館研究開発年報』という学術誌の2016年6月30日号に発表されました。福田徳三という人は1874(明治7)年生まれ1930(昭和5)年没で日本の厚生経済学研究の先駆者で、大正デモクラシーの理論的指導者のひとりとして社会的にも活躍したそうです。

福田が1923(大正12)年勃発した関東大震災からの復興について書いた著作『復興経済の原理及若干問題』で東大図書館は建物と蔵書76余万冊を消失したことについて、「東大の図書館は焼けた。しかし東大の学者中大災の為に死んだ人はたしか一人もなかったと思う。。。略。。。ただその研究の道具である図書が今しばらくの間欠けてしまったというだけである」と記している。この物言いは、当時帝大(東大)の図書館消失は文化的大惨事であると嘆かれた世論と比べれば冷淡のように感じられると福島先生も書かれています。しかし、さらに図書館の役割を考えれば、あくまで学問研究、教育の中身そのもの、それを生み出す人の活動の役に立つことです。いかに貴重な書物でもそれを使って研究したり、学ぶ人よりも本が大事であるということはありません。

では福田先生は書籍を大事にする人では無かったか?というと。そうではない!という証拠に、関東大震災時、箱根で論文執筆をしていたのですが、大慌てで徒歩で帰京、9月30日には、その当時神田にあった一橋大学の前身東京商科大学に出向いて洋書貴重書等の盗難を危ぶんで「大学構内および三井ホールに蔵するギールケ文庫・メンガー文庫の警戒のため徹夜警備する。これを機として教授・学生等をもって構内警備にあたることとする」と『一橋大学年譜』にあるそうです。

さらに福島先生は論文に歴史上、1914年と1940年の2度にわたって図書館が戦禍によって炎上し蔵書が焼失した例としてベルギーのルーヴァン大学図書館を登場させています。

ルーヴァン大学は1914年ドイツ軍の攻撃によって中世に書写された多くのマニュスクリプト(写本)を焼失してしまいます。このドイツ軍の行為は激しい国際的な非難を浴び、講和条約に失われた資料を復旧せよとの付帯事項が定められたそうです。しかし、焼かれてしまった資料と同じものを揃えることは不可能です。そこで、ルーヴァン大学の教員たちは学問の最新動向を知ることができる最新の刊本や学生たちのための教科書類の購入を要求しました。しかし、この要求はかなえられず、図書館復興の任にあたった官僚はふんだんな賠償金を使って見境なく高価な古典籍や写本類を買い求め、ルーヴァン大学図書館の蔵書としました。

時は流れてルーヴァン大学図書館は2度目の戦禍に合います。1940年再びナチスの攻撃でこれら賠償金による新たに揃えられた高価な蔵書はあらためて焼失してしまいます。福島先生は「歴史の皮肉としか言いようがない」と述べています。

話は関東大震災で被災した東京帝国大学に戻ります。先のルーヴァン大学図書館への復興に際して組織された国際委員会の活動によって東大へも多くの図書が寄贈されました。その寄贈本のなかの一冊がウィリアム・モリスのケルムスコット版であるというのは、良く知られています。

東大総合図書館(1928(昭和3)年再建) | 図書館と災害 、 図書館と戦禍

東大総合図書館(1928(昭和3)年再建)
(参考:Wikipedia

これに関しては別の論文、徳永聡子著「東京大学附属図書館所蔵のイギリス初期刊本―English Short Title Catalogue登録に向けて―」、『慶応義塾大学日吉紀要、英語英米文学』2010年に掲載されたものがあります。

この論文によりますと、いち早く援助の手を差し伸べたのはイギリスでした。援助の中身は「イギリスの印刷術と製本術の変遷を示す163点にも及ぶ貴重書。。。略。。。寄贈書の代表としてケルムスコット版チョーサー作品集がチェンバレン外務大臣から松平駐英大使に贈られた。」とあります。

その後のこれら貴重なイギリスの代表的初期刊本、キャクストン版などの研究における活用はどのようであったか?ということも報告されています。徳永先生の論文タイトルにありますように国際的な古版本目録のデータベースEnglish Short Title Catalogueへの登録はこれからのようです。

本の焼失という、絶対に元に戻すことが出来ない状況に置かれたとしても、大学図書館として最も大切にしなければならないのは図書館を構成している利用者、つまり教育・研究活動の担い手、学生さんや先生方、職員たちということですね。

本の修理、修復という、日本ではあまり陽が当たらないところに身をおいていると、遂本にばかり目が行ってしまいますが、図書館の根本に立ち返らせていただいた論文に巡り合えたので、紹介させていただきました。

*文中の建物の写真はウィキペディアからコピーさせていただきました。
2019年一橋大学西洋社会科学古典資料講習会テキストはこちらから
 論文は以下のリンクからダウンロードして読むことができます。
 福島知己先生論文
 徳永聡子先生論文

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M.T.

一橋大学兼松講堂(国登録有形文化財) | 図書館と災害 、 図書館と戦禍

一橋大学兼松講堂(国登録有形文化財)
(参考:Wikipedia

東大総合図書館(1928(昭和3)年再建) | 図書館と災害 、 図書館と戦禍

東大総合図書館(1928(昭和3)年再建)
(参考:Wikipedia