白須美紀
【活版クリエイター紹介 vol.8】
古いマシンとともに、新しい物語がはじまる
有限会社 山添
ショップ兼ワークスペース「THE LETTER PRESS」誕生
完成間近だというその場所に足を踏み入れると、別世界が広がっていた。リノベーションされた古い町家には柔らかな陽光がさしこみ、両側には手刷りの活版印刷機や見たこともないレトロな印刷加工機が並んでいる。まるで印刷機博物館のようなこの場所は、有限会社山添が2018年3月に立ち上げるショップ兼ワークスペースだ。その名も「THE LETTER PRESS」。
より多くの人に活版印刷に親しんでもらいたいとの思いから誕生した空間であり、工場で眠っていた古い機械たちの新たな活躍の場でもある。訪れる客は買い物以外にも、活版印刷機で手刷りをしたり、加工機を使って自分だけのオリジナルノートをつくったりと、ものづくりを楽しむことができる。立ち上げに際してはクラウドファンディングにも挑戦、157名の支援を集め目標を達成した。
「長い間使っていなかったとはいえ、ちゃんと現役なんですよ」といいながら次々に機械を動かしてくれたのは、山添の社長である野村いずみさんだ。
紙の角を丸く切り抜くもの、ミシン目を入れるもの、ルーズリーフのようにたくさんの穴をあけるもの。どっしりとした鉄のペダルや古い木の台に時代を感じるが、動きはとてもスムーズでメンテナンスも上々、大切に保存されていたことが伝わってくる。
手動の活版印刷機であるテキンを自動化したようなスーパーエースというマシンもあった。名前といい姿といい何とも愛らしい一台で、軽やかな音をたてて滑らかに動く。「この音がいいんですよね」と、野村さんも目を細める。ベテラン印刷工でもないのにこれらの機械をうまく扱えるのは、印刷会社の次女に生まれ、工場を遊び場に育った野村さんだからこそだろう。
古い機械や活字を大切に守り続ける
山添は今年で創業50年を迎える。先代社長だった野村さんの亡きお父さんが、テキンと呼ばれる手刷りの印刷機をアパートの玄関に1台設置したのがはじまりだという。そこから少しずつ機械が増え、アパートから一軒家へと引っ越し、やがてその一軒家は工場になった。
半世紀たった現在、二代目社長の野村さんをふくめスタッフは総勢8名。工場内には活版や軽オフセットの印刷機がいくつも並び、チラシや名刺,封筒などを印刷している。古い機械がたくさん活躍しているが、廃業する他所の印刷会社が野村さんに連絡をくれて、引き取った機械も少なくない。一番の新入りは、工場入口に鎮座する大きなハイデルベルグのシリンダー機「KSB」だ。
だが、野村さんが大学を出て家業を手伝い始めた頃、工場は全く様子が違っていたという。世の中はすでにオフセット印刷が主流となっており、山添も世間一般の印刷会社同様、活版の仕事はほとんど無くなっていたのだ。野村さん自身も「場所を取る活字や活版印刷機を処分して、オフセットの名刺印刷機をいれようよ」と父に勧めていたという。
そこに起きたのが、1995年の阪神大震災だった。このとき神戸や大阪などでは活字が床に落ちてしまう被害がたくさん出たという。活字は案外柔らかく、床に落ちると欠けてしまい使えなくなる。実際、この震災の被害を機に廃業するところが続出し、近畿圏の活版印刷は一気に衰退したのだそうだ。
もちろん山添の工場も例外では無かった。野村さん自身も床に散乱しているおびただしい数の活字を見て「ついに活字を辞めることになる」と思ったという。だがお父さんは違った。「捨てるわけにはいかん」と言って、ひとつひとつの活字を拾い、棚に戻しはじめたのだ。
「それから毎晩、仕事が終わってから活字を拾って棚に戻す作業を続けました。職人さんたちも一緒に作業してくれたのですが、全部を棚に戻すだけで半年かかりましたね」。
微細なカケなどは実際に印刷してみないと分からないことも多く、欠陥がみつかるたびにそのつど新調し、時間をかけて入れ替えていったという。
阪神大震災から二十年以上が経ち、活字の現状はさらに厳しい。メーカーの廃業が続いており、ますます活字の維持は大変になっている。だがもう野村さんのなかに「活字を辞める」という気持ちはないという。
「わたしたちが使わないと活字メーカーさんは続けることができません。たくさん使ってどんどん新調したいと思っているんです」
活字だけではなく、機械も同じだ。新しいショップも、古い機械たちを処分するのではなく活かすことを考えた結果だ。お父さんの意志はいつしか野村さんに引き継がれていたのだ。
仲間とともに、挑戦を続ける
震災から数年後、20代後半で野村さんは社長に就任した。だがまだお父さんも現役だったため、ずっと名ばかりの社長だったという。そんな野村さんに転機が訪れるのは、社長就任後10年目のことだ。両親の年齢や経営のことから、工場をたたむ話が持ち上がったのだ。ずっと腰掛け気分で働いていた野村さんは、これをきっかけに覚醒する。
「廃業した場合、わたしたちはそれでいいでしょう。でも、自分たちだけ楽をして、お客様や働いてくれている人たちに迷惑をかけることはできないと思ったんです。そこでわたし自身が続ける決断をしました。わたしが本当の社長になったのはそのときからだと思います」。
そこから野村さんはさまざまな挑戦を行うようになる。ネットで気軽に注文ができる「活版名刺ドットコム」もそのひとつだ。明瞭な価格体系と手軽さから、活版印刷への敷居をさげることに成功した。スタートして7年目になるが、ますます知名度があがり、全国から注文が舞い込むという。
また、仲間やスタッフも少しずつ増えていった。なかでも大きな出会いとなったのは、2年前に入社してきたデザイナーの大友貴之さんだ。大友さんはデザイン会社でグラフィックデザイナーとして経験を積んだのち、リノベーション会社でインハウスデザイナーとして働いていたが、印刷業への転職を決意し、自分から山添に連絡してきたのだという。
「デザインだけでなく最終のものづくりができることを、求めていたんです。活版印刷はこだわりを持つ個人のお客様が発注くださることも多い。そういう方々のために仕事をして、喜んでもらいたいと思いました」。
それは、企業だけでなく個人のお客様とのつながりも大事にしたいと思っていた野村さんと全く同じ考えだった。大友さんの加入は、印刷技術はあるものの社内デザイナーがいなかった当時の山添にとって、大きな戦力補強である。デザインを含めた印刷提案が可能になり、個人のお客様と打ち合せをするスペースも誕生した。そして、その延長上にあるのが、ショップ兼ワークスペースの「THE LETTER PRESS」なのだ。物件の改装はもちろんのこと、クラウドファンディングの企画やリターン品のデザインまで、すべて大友さんが中心となって動いたという。
「細かなことまでぜんぶ頼りっぱなしです。わたし一人ではなにもできなかったと思います」と野村さんがいえば、「いつも大事な部分だけを前向きにスパッと決断してくださるんで、やりやすいんですよ」と大友さんが応える。絶妙なコンビネーションに、わたしの頭のなかには「名将の元に名参謀あり」の言葉が浮かんでいた。
「ワークスペースでは、ぜひ手づくりの喜びを感じてほしい」と、大友さんはいう。「SNSも便利ですが、自分で刷った便箋で手紙を書けば、特別な1枚になります。時を経ても無くならないし、見たらそのときの喜びがまた甦ります。それが印刷物の魅力だと思うんです」。
ネットの利便性を追求した活版印刷ドットコムに加えて、体験型で人のぬくもりを大切にする「THE LETTER PRESS」が誕生したことで、山添のものづくりのバランスはさらに良くなるだろう。それはバーチャルが席巻するこれからの時代に、とても大切なことに思える。それに、効果は社内だけに留まらない。
「このお店が地元活性に役立てば嬉しいですね。今は近くにあるシルク印刷工房の方と交流していて、イベントも考えています。他にもいろんなお店ができて盛り上がることができれば、こんなに嬉しいことはありません」と、野村さんはいう。「そのためにも大勢のお客様に来ていただけるといいですね。廃業して機械をゆずってくれたおじさんたちも遊びに来て欲しいです」。
野村さんのいうとおり、きっとここからたくさんの人とのつながりが生まれ、新たな山添の物語がはじまるだろう。店舗の奥には、野村さんのお父さんが創業時にアパートの玄関で使っていた青いテキンが飾られている。山添の歴史をはじめからずっと見てきた小さな活版印刷機は、次なるステージのはじまりも見守っているのだ。
有限会社 山添
野村いずみ(右)
大友貴之(左)
【本社】
住 大阪市城東区成育3-11-8
電 06-6939-5551
休 土日休
交 京阪電車 野江駅より徒歩3分
地下鉄谷町線 野江内代駅より徒歩9分
【THE LETTER PRESS】 ※3月20日オープン
住 大阪市城東区成育3-5-16
電 本社共通
休 不定休
交 京阪電車 野江駅より徒歩2分
地下鉄谷町線 野江内代駅より徒歩8分
※施設利用料などは未定