WEB MAGAZINE
web-magazine

紙ノ余白
美濃での芽かき

美濃での芽かき - 紙の余白

私は、紙漉きの産地に赴く時、漉き手の方のお家でご家族と一緒に食事を頂き、泊まらせて頂いています。
その中で伺う和紙の話や産地の話は、想像や教育現場で流されるVTRや映像番組と、当たり前ですが、全然違う現実だと感じています。

刻々と変わる産地の現状を聞いていると、今、国産の楮栽培が岐路に立っている、という感触がします。

楮を育ててきた農家の方々の高齢化によって、楮の株そのものや栽培の知識や知恵が途絶えつつあり、漉き手が1年分の原料を手に入れられなかったり、手入れが行き届いていないあまり良くない原料しか手に入らなかったりと、それは紙漉きと直結しています。

そして、それを「危機」と捉えて、各産地のあらゆる立場の人が動き始めています。

産地同士の視察や交流や情報交換によって、今いる漉き手や必死に紙漉きを生業にしようとしている若者の未来に確実に国産原料が手に入るようにと試行錯誤が始まっています。

もうかなり大きく育っている楮。異様に強い生命力が伝わるだろうか。 | 美濃での芽かき - 紙の余白

もうかなり大きく育っている楮。異様に強い生命力が伝わるだろうか。

美濃もそのうちの一つで、若手の漉き手と地元のボランティアの方が一緒になって楮畑の雑草刈りや芽かきを定期的にしています。
とある日に、私も参加をさせてもらいました。
その日は広島原爆投下の日でしたので、黙祷のサイレンに祈ったのち、皆で畑に向かいました。

猛暑の中、岐阜県内の市民の方、職種として全く関連はなくとも関心があってと会社で有志を募って休日返上で参加されたグループの方や、夏休みのお子さんに体験させようと親子連れで参加された方もおられ、20人以上は集まっていたように思います。

畑に到着して。

違う、何かが違うと思いました。

「~楮」という表現や、その土地土地での楮の呼び方や品種の識別について、私は今まで楮は楮よね?と思っていました。
でもやっぱり、石州楮と美濃の楮は違う。

環境や人の手入れ具合や樹齢という条件の違いを差し引いても、何か「気配」のようなものが違う。

比べるものでは決してないです。
ただ私という生身の、実体験を通して、和紙を伝えたいという願い故、研究者の方が書かれる専門的、学術的な表現ではなく私が伝える、ということ。

(誤解を招く表現ですが、私の一つの基準が石州、であるということで、石州が正解だ、ということをお伝えしたいのではありません。)

何がどう違うのか。
薮の中で蔓に巻かれて、陽に向かって必死の枝を伸ばしているその生命力は、手をかけて畑で育てられた楮のものとは違うのか?
葉の形状が違うのか?
土地の養分が違うのか?長良川の風のせい?
と滝の汗を流しながら、根元に絡みつく雑草を取って、株の間引きをして、脇芽を切りながら、その正体を必死に考えていました。

今回手入れをしたこの楮の皮を剥いだり、ちり取りをして繊維に触れたら分かるのだろうか。
私の中で、何かストンと落ちるのだろうか、と今でも考えています。

これは、きっと、日本各地の楮畑皆違うのでしょう。
今まで、何箇所か畑を「見て」きましたが「触れる」のとは大違い。
雪国か山間部かでもきっと違うはず。

この記事がアップされる頃には楮の丈は2メートルを超えて、もうそろそろ芽かきのシーズンが終わる頃。
台風のシーズンとイノシシやシカをの襲来を無事乗り切って落葉すれば、冬の声。
皮剥です。

季節の巡りと共に和紙は産まれます。

 

*美濃の楮は、厳密に言うと那須楮と土佐楮の混種のようです。
(楮は品種が混ざりやすい=「すぐに隣の株を『喰う』」そうです。だからこそ、楮の定義は難しいのです。)
*筆者が芽かきに必死のあまり、撮影できず画像が少ないです。

もうかなり大きく育っている楮。異様に強い生命力が伝わるだろうか。 | 美濃での芽かき - 紙の余白

もうかなり大きく育っている楮。異様に強い生命力が伝わるだろうか。

美濃での芽かき - 紙の余白