生田信一(ファーインク)
「根岸子規庵」に行ってきました
今回のコラムは、台東区にある「根岸子規庵」(https://shikian.or.jp/)を訪れた様子をお伝えします。
前回のコラムでは、台東区根岸にある「書道博物館」を紹介しましたが、その際に、書道博物館の通りを隔てた向かいにある「子規庵」の存在を知りました。
子規庵は、こぢんまりとしたした建物で、うっかりすると見落としてしまいそうです。この住居に正岡子規と、母親の八重(やえ)、妹の律(りつ)が過ごしていました。建物は昭和二十年(一九四五)戦災によって平家造り家屋は消失したが、昭和二十五年寒川鼠骨らにより再建され現在に至っているそうです。
子規庵には、多くの明治の文人達が集まり、子規を囲んだ句会、歌会などが催されたようです。子規が病臥で伏せっていた同じ部屋に筆者も寝そべり、庭の景色を眺めてみました。子規と同じ目線になれる、不思議な体験でした。
では、一緒に覗いてみましょう。
座って、横になって、子規の目線になれる唯一の史跡
子規庵は、台東区根岸の一角にあります(写真1)。一般的な平家の造りの門構えで、衒った感じがみじんもありません。
子規庵サイトでは、子規庵について以下の記述があります。以下に抜粋します(写真1、2)。
「東京都指定史跡
子規庵
所在地 台東区根岸二丁目五番十一号
指定 昭和35年四月一日
正岡子規(一八六七〜一九〇二年)は俳人・歌人・随筆家。幼名は升(のぼる)本名は常規(つねのり)、別号を獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)、竹の里人などといった。伊予国藤原新町(現・愛媛県松山市)に生まれ、俳句・短歌の革新を唱え、また写生文を提唱した。
新聞「日本」及び俳誌「ホトトギス」により活動、子規庵での句会には森鴎外、夏目漱石も訪れ、歌会には伊藤左千夫、長塚節等が参加、歌誌「アララギ」の源流となる。
著書には、俳論『俳諧大要』『俳人蕪村』、歌論『歌よみに与ふる書』、『竹の里歌』、随筆『墨汁一滴』『病牀六尺』『仰臥漫録』など多い。
子規はこの場所に明治二十七年(1894)二月から住み、同三十五年(一九〇二)九月十九日、病のため没す。母八重、妹律は子規没後もここに居住し、その後は子規の門弟寒川鼠骨(そこつ)が庵を守りつづけた。
昭和二十年(一九四五)戦災によって平家造り家屋は消失したが、昭和二十五年鼠骨らにより、旧庵の通り再建され現在に至っている。
史跡に指定されている土地の面積は四〇五・六平方メートル。
平成十二年三月 設置
東京都教育委員会」
子規庵には、正岡子規と母・正岡八重、妹・正岡律の3人が生活していました。子規生存時の間取り図は(写真3)を参照してください。
終焉の場となった書斎兼病室
子規庵の建物の魅力は、室内の間取りが当時のままで、普段使いの様子が現在にそのまま引き継がれていることでしょう。
子規の左足は病のため曲がったまま伸びなくなっており、立膝を入れる部分をくりぬいて作られています(写真4)。
(写真5)は子規の「病牀六尺」(正岡子規の随筆集)の間の写真。病床の子規が、自身の病状や時勢などについての所感を書いたもので、明治35年(1902)に発表されました。
子規が長く病臥し、創作の場ともなった六畳には、子規の自画像(複製)が掛けられていました (写真6)。
外に目を向けると、ガラス戸越しに糸瓜棚や、四季の草花を見ることが出来ます (写真7)。
絵はがき・写真集・書籍など
最後に、子規庵で購入できる書籍やグッズを紹介します、ここでしか入手できないものが多く、じっくり眺めたくなります。
(写真10)は子規庵が刊行する定期刊行物『子規庵春秋』。バックナンバーが揃っており、これまで子規庵で催された特別展示やイベントなどが紹介され、楽しい読み物になっています。筆者は写真の2冊を購入しました。
今回は根岸子規庵を訪問したレポートをまとめてみました。根岸子規庵にあるこの一角は、まるで明治時代にタイムスリップしたような不思議な空間でした。ぜひ訪れてみることをお勧めします。
では、次回をお楽しみに!
子規庵
URL:https://shikian.or.jp/
開庵時間:10:30~12:00(11時40分までに受付をお願いします。)
13:00~16:00(15時40分までに受付をお願いします。)
入庵料:500円
中学生以下無料
20名以上団体割引あり
電話:03-3876-8218
公開日:毎水土日曜日・祝日
8月夏季休庵期間・12・1月冬季休庵期間があります。
イベントや行事により公開日が変わる場合が有ります。事前にお問い合わせください。