図書館資料保存ワークショップ
[図書館に修復室をツクろう!]52
ある向日庵本
今年、1月21日「京都新聞」朝刊に“専門越えた知 寿岳文章に光”の大見出し、小見出しに“邸宅「向日庵」に資料50箱 23日から向日市で展示”という記事が掲載されました。数年前にも「京都新聞」の記事でNPO法人「向日庵」が発足されたことは知っていましたが、その後の活動については私の貧弱な情報網にはかからず、展覧会が開かれるとの情報に心躍りました。
というのは、私の手元に向日庵本らしき一冊があるからです。それは『IN MEMORIAM HAROLD FREDERICK WOOSWORTH D.D.』という書名で、全文英文。1952年出版。奥付にあたる部分には故ウッズワース博士の弟子であった京都の寿岳文章によって刊行、テキストは因幡の塩義郎による手漉紙であり、限定300部の内250(この数字は手書き)番である。という旨が英文で記されています。
表紙は茶色の布装、表表紙には故ウッズワース博士の横顔のシルエットがはめ込まれています。角背でテープと思われる支持体3本に細い麻糸(?)の2本どりで縢り綴じされています。簡素なキチンとした佇まいの本です。
本が好き、ルリュールや本の修理を勉強中の一介の元大学図書館員が何故この一冊を所有しているかという訳を少し記します。
私は京都大学の附属図書館洋書目録掛を始めとして、34年間、学内の4箇所の学部や研究所の図書室に勤務しました。
京大附属図書館の新米司書にとって、戦前26年間も館長であった新村出元館長(1911年―1936年)、新村出の弟子筋として著名な書誌学者寿岳文章、そして、新村、寿岳と京大附属図書館に所蔵しているダンテ関係文庫である旭江(きょっこう)文庫、その寄贈者である大賀寿吉のことなどは、憧れや誇りの対象でした。(この文中、敬称は略します。)
と言っても書物そのものの勉強をそれほど深めたわけでもなく、図書館現場の業務をこなすのに精いっぱいの日々をすごしていました。根が本好きなので、寿岳文章の書物関係の著作に親しむうち、寿岳が志を持って刊行した向日庵本のことも知るようになりました。雑誌『季刊銀花』などには写真も載り、芹沢圭介による型染和紙の表紙などを見て、「素敵だなあ!」と鑑賞していました。
ところが、今となっては経緯も思い出せないのですが、私にも手に入れることができる価格の、どうも向日庵本らしいこの本を買う事ができました。
手に入れたのは良いのですが、全文英語ですし、向日庵本に関する様々な著作にもこの本のことは出てきません。そうこうする内10年以上が経っていました。
そして、今年、寿岳文章生誕120年を昨年迎えた今回の展覧会です。今まであまりにも膨大な寿岳関係の著作に真剣に取り組んだことがありませんでしたが、このさい『IN MEMORIAM HAROLD FREDERICK WOOSWORTH D.D.』に関する論文や著作などを検索してみました。
寿岳文章自身が『日本古書通信』昭和28年10月刊第114号に書いた「「ウヅワース博士追憶集」刊行記」と、さらに最近発表された、『IN MEMORIAM HAROLD FREDERICK WOOSWORTH D.D.』に特化した2論文を探し出すことができ、沢山のことを教えていただきました。
この3つの記事と論文を基にさせていただきながら私なりに学びとった寿岳文章の書物に対する哲学を記したいと思います。
「ウヅワース博士追憶集」刊行記には、発行直後の寿岳の思いが記されています。関西学院大学で英文学を講義した寿岳の恩師ウヅワース博士が昭和14年に急逝され、いち早く追悼集発行の声がおこり、一口5円で予約を募り、百数十の予約申込みがあり、出版にとりかかろうとした時、日本は戦争に突入、敵国カナダ人である博士の追悼集出版は不可能となる。そして、戦後、強烈なインフレで、戦前集めた予約金は紙くず同然となってしまう。それでも博士夫人との約束を守るべく新たに寄付金を募り、何とか出版に漕ぎつける。従来の向日庵本とは趣を異にするとしながらも、300部限定のこの本は、当初からの企画、内容、印刷、装幀、発送、寄付金集め、礼状発送まで、寿岳自身の手になったという点で準向日庵本として差し支えないとしています。
経済的にも大きな負担を追いながらも、カナダに帰られた博士夫人との約束を守り通したことに対し、「人道いまだ地に堕ちず」と報じた新聞もあったが、自身としては、ただ約束を守っただけの話である。と。さらに“政治家が嘘八百を述べている間に、ただ一つの真実を行ったまでのことなのである。しかし、そうした真実が、書物を受け取った人々の胸に伝わり、過分の感謝が私へ寄せられたことはさすがにうれしい。”とあります。寿岳その人の人となりが表れています。
次に最近の2論文は2019年に『Ex:エクス:言語文化論集』に発表された関西学院大学教授、森田由利子氏著「<研究ノート>約束の書物が語ること:『ハロルド・フレデリック・ウッズワース博士追憶集』」と2020年に『甲南大學紀要 文学編』に発表された甲南大学名誉教授でNPO法人向日庵理事長、中島俊郎氏著「戦禍を超えた師弟愛 ―『ウッズワース博士追憶集』―」です。以後、この文中でもこの本は『ウッズワース博士追憶集』と記します。
森田氏は『ウッズワース博士追憶集』の国内での所在を35冊確認され、その内17冊を手にとって調査されいます。『ウッズワース博士追憶集』をモノとして書誌学的に研究された論文で、私が求めていた貴重な得難い情報を与えてくださいました。
一方、中島論文はウッズワース博士の伝記、英文学者としての功績や『ウッズワース博士追憶集』に収録されたテニスンの詩の解説など、英文学に疎い私にこの本の内容的な入門書となってくださいました。
森田論文から紹介します。
<第Ⅲ章.本の装幀―用と美>では書物はまず、「読む」ものであるから、読みやすい活字で美しく組まれ、印刷され、丈夫に綴じられた用の美を持つべきものである。
そして表紙に使用されたのは、ウッズワース博士の教え子の一人であった倉敷民藝館長、外村吉之介に頼んで入手した葛布であること。
本文用紙は鳥取県東部の因幡(青谷の日置村)で塩義郎によって手漉きさせたもの。
印刷を請け負ったのは内外印刷株式会社(現冨山房インターナショナル印刷部)であること。を知ることができました。
<結び>では森田氏が国内での所在を確認した35冊の内には意外な場所で保管されていることがわかったとして、京都大学理学研究科宇宙物理学教室の山本一清博士の手に渡り、現在は京都大学理学研究科附属花山天文台が所蔵している。とのこと。かつての京大図書館職員にはうれしい驚きでした。寿岳文章の書物をめぐる広い深い人脈がしのばれます。
中島論文ではその論題のように寿岳とウッズワース博士の戦禍を超えた子弟愛の紹介から始まります。
ウッズワース博士は1838年生まれ、メソジスト派教会の牧師を父にもつ。1908年に伝道のため来日、長崎市立商業学校と第7高等学校で教鞭をとった。1913年関西学院に来任、1939年2月6日脳溢血のため逝去。遺骨は東京青山霊園の外国人墓地に埋葬された。学生の便りには必ず返信をしたためる誠実な教師であり、博士が教えた英文学は決して机上の閑文学ではなく現実を直視できる精神の在り方を教示したものであった。とあります。
<結びにかえて―向日庵本と和紙>の章では“寿岳文章が『ウッズワース追憶集』を何ゆえに向日庵本として出版する必要があったのであろうか。最後にこの疑問に応えておきたい。”とあります。
亡き人を偲ぶため、追想を込めた小冊子を刊行する習慣がイギリスにはあり、英文学者寿岳にはこの書はきわめて自然な追悼文集でありえたこと。
予約金を募り、本文用紙、装幀材料も準備できていたにもかかわらず、出版の1952年まで12年もの年月が無為に流れた。この無為の年月こそ戦争に対する無言の抵抗ともとれようか。かくして、この書が最後の向日庵本となったのです。
この章中「和紙を用いた理由」の節では、向日庵本には「特別に手漉きさせた和紙の本文用紙」が用いられたが、単に審美的な観点のみからと考えてはいけない。寿岳夫妻は全国各地を和紙調査のために旅行した経験から、和紙を用いることは“人間と自然の共存、人間の精神、人々の生活、地域の歴史などが和紙に凝縮され反映していたからにほかならない。...当時の和紙の生産は、ほそぼそと残存しているに過ぎなかった。...寿岳の手漉き和紙を復活させる運動は自ずと行政への批判となって現れ、英文著述などでもって和紙のあるべき姿を説いたのである。”との重要な指摘があります。
そして「向日庵本と和紙」の節では、いよいよ『ウッズワース博士追憶集』の本文用紙に和紙が使われた理由を知ることが出来ます。漉き手塩義郎と寿岳の関係は柳宗悦を介してであった。柳宗悦は自身の編纂による民藝思想関係の限定版『妙好人因幡の源左』に塩の和紙を使用している。中島氏によれば塩義郎は、柳によって和紙製造の本質に開眼し、そして寿岳へ塩の手による紙がもたらされたとされています。“寿岳は手漉き和紙の製造を継承しようとしている者を支援すると同時に師ウッズワースへの敬慕の念をこめて、和紙のなかへ織り込みたかったのである。ここにも再び師弟の物語が形成されつつある。”と結んで居られます。
以上、3本の記事、論文を基に、私の勝手な関心事を書かせていただきました。他の寿岳文章の私家版、向日庵本に関して、寿岳自身、また寿岳文章の研究家による膨大な執筆物があります。これらに今触れても、改めて書物というものに対する寿岳の対峙の姿勢にハットさせられました。ここにまとめて記すことなどは不可能ですが、本の修理、修復を志す者として、「書物の用の美は、活字、印刷、綴じの読み易さ、美しさである」との寿岳文章の教えを胸に刻もうと思います。
なお、この拙文で参考にさせていただいた2論文に先立ち、NPO法人向日庵のホームページで公開された講演録から長野裕子氏の講演「寿岳文章と向日庵本」を読ませていただき、とても勉強になりました。
ご執筆を通して多くを学ばせていただいた長野裕子氏、森田由利子氏そして中島俊郎氏にお礼を申し上げます。
これらの論文などはインターネットで無料公開されています。ダウンロードし、誰でもプリントアウトしたり、読んだりできます。以下にリンクします。
1)長野裕子 寿岳文章と向日庵本 講演録『向日庵3』2019年
2)森田由利子 <研究ノート>約束の書物が語ること 『Ex:エクス:言語文化論集』2019年
3)中島俊郎 戦禍を超えた師弟愛 『甲南大學紀要.文学編』2020年
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M.T.