森カズオ
文字のある風景⑮
『かきつばた』~折句・沓冠の深み~
唐衣 きつつなれにし つましあらば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
これは、平安時代の貴族・歌人で、六歌仙や三十六歌仙にも選ばれている在原業平の歌。その意は、「唐衣を長いこと着ているうちに、馴染んでしなやかになった褄。そんな褄のように馴れ親しんできた妻を置いてきている。褄が馴染んだ衣を洗い張りしてくれた妻、その衣を着ていた私。京の都に妻を置いて遥々東国へとやってきた、この旅のことを、こうしてしみじみと思うのだ。」とされている。
実は、この歌には、ある趣向がこらされていて、各句の頭の文字を拾っていくと「かきつばた」という言葉が現われるように詠まれている。こんな趣向のことを「折句」と呼ぶ。歌の頭に違う思いを織り込んでいくのである。いにしえの歌人たちは、こんな言葉遊び、文字遊びを楽しんでいたのだ。
その楽しみは、現在にも息づいている。次の詩は谷川俊太郎氏によるもの。
あくびがでるわ
いやけがさすわ
しにたいくらい
てんでたいくつ
まぬけなあなた
すべってころべ
本文では、相手をなじるような文言になっているが、各文の頭を取っていくと「あいしてます」という本音のメッセージが浮かび上がってくる。なんとも「折句」が持っている世界は深いのである。
「折句」が、頭の文字を取るのに対して、各句の頭と尻を取って違うメッセージを伝えるのが「沓冠」。「くつわかぶり」と読む。句の頭(冠)と尻(沓)を取るのでこの名があるという。有名なものは、「徒然草」の作者として知られる吉田兼好と同時代の僧で歌人だった頓阿の問答がある。兼好は、「よもすずし ねざめのかりほ た枕も ま袖も秋に へだてなきかぜ」と歌を送った。ここには「米給へ、銭も欲し」というメッセージが込められていた。それに対し頓阿は、「夜もうし ねたくわがせこ はては来ず なほざりにだに しばし問ひませ」と返じたという。この歌には「米はなし、銭少し」という返事のメッセージが込められている。なんとも趣きのある洒脱な借金申し込みと返答だろう。先人の文化レベルの高さがしのばれる。
「折句」も「沓冠」も文字を使った遊びである。これは日本独自のものではなく、西欧でも古くから楽しまれてきた。いわゆる「アクロスティック」と呼ばれるものだ。洋の東西や時代を問わず、人間というものは「遊び」が大好きな生き物なのである。この特性をぜひ、後世にまで継承していきたいものである。