森カズオ
文字のある風景⑪
『脅迫状』~迫る文字~
新聞や雑誌の記事を切り抜いて書いた(つくった?)文章は、いわゆる脅迫状などに用いられているようだ。よく、サスペンスドラマの誘拐ものなどを見ていると、搭乗する。書き文字ではないので、筆跡鑑定されることもなく、犯人にとっては好都合なのだろう。
でも、ほんとうに誘拐事件では、このような切り貼り文字の脅迫状がつくられているのだろうか。ドラマがつくりだしているイメージに洗脳されてはいないか、とふと疑問に思うことがある。というのも、今回、この文章を書くにあたって、実際に切り貼り文をつくってみたのだが、その手間のかかることといったら尋常ではなかった。数週間分の新聞を携えて、一面一面とにらめっこしながら必要な文字を探す。作業をはじめる前は、さくさくさくと見つかると高をくくっていたのだが、いざ、はじめてみると、お目当ての文字はなかなか見つからない。本文中にはあっても、見出しにはない…なんて悔しい思いを何度味わったことか。「ば」なんて文字は、考えてみたらほとんど見出しに使われることはない。何時間もかけて、これでもかというほどの紙面と向き合って、やっと見つけることができた。なんとも人心を披露させる作業だったのである。
果たして、こんなまどろっこしいことを誘拐犯が行うのだろうか?かなり精神的な余裕を持っていなければ、こんなことはできないのではないか、と思った。子どもを誘拐して、拉致するには、極度の緊張感が伴うだろう。そんな精神状態の下で、冷静に新聞紙面を手繰り、文字を探して文章をつくるなんて、よほどの精神力のある人間でないとできない所業なのではないだろうか。
もしかしたら、ドラマの制作者によるイメージづくりから、このような脅迫状がつくり出されたのではないか、と思ってみたりする。確かに、無機質な印刷文字のランダムな羅列は、見る者にある種の恐怖感を抱かせる。誘拐事件に切り貼り文字の脅迫状は、なくてはならない小道具になる。そういうドラマの方程式が脈々と受け継がれているのではないか、と推測している。
考えてみれば、この切り貼り文は、印刷文字があるからこそ、つくれるものだ。そう考えると、なんとも文明の落とし子のような存在だ。そして、さまざまな紙面からごく一部だけを抜き取って文章を仕上げる。これは、とても高度な編集作業である。まったくもって、脅迫状づくりは、知的作業にほかならない。もし、これを一般的な手紙に応用したら、面白い世界観がつくれるかもしれない。ただ、相手に恐怖感を与える恐れはあるが…。一度、チャレンジしてみようと思っている。
ただ、時代はデジタル。切り貼り文なんてものは、音楽の世界に喩えたなら蓄音機並みの存在なのかもしれない。今どきなら、脅迫状もメールやラインで送られてくるんだろう。海外のサーバーを経由させて誰がどこで発信したか特定されないようにして。
だからこそ、この切り貼り文には、ノスタルジックな魅力が潜んでいる。ある意味、大切に遺していけないものか、とまじめに考えている。