森カズオ
文字のある風景①
『まねき』~冬の京都の勘亭流~
今年は、京都の冬の風物詩であるユリカモメの数が激減だそうです。昨年は、518羽だったのが、今年は269羽と、ほぼ半減。飛来元のカムチャッカ半島の環境変化が原因ではないか…などといわれています。このユリカモメ、いにしえの文学作品『伊勢物語』の「九段 東下り」に登場する“都鳥”ではないか、と推測されたりしていますが、京都に頻繁に姿を見せるようになったのは、昭和22(1947)年以降のことだとか。戦後間もない頃ですから、けっこう新参者なのですね。
ところで、京都の冬の風物詩といえば、南座の『顔見世』公演もよく知られていますね。江戸時代、歌舞伎役者は年棒制で、その契約期間は11月から翌年の10月までとなっていました。そこで、毎年11月になると『顔見世』と銘打って、各座の新たな顔ぶれが口上を述べていたといいます。これが現在の『顔見世公演』の源流です。今年の『顔見世』は、南座が耐震工事に入っているため、近くの甲部歌舞練場で開催されています(12/25まで)。
『顔見世』で、いつも話題になるのが、『まねき』です。役者の名前を墨書した高さ1間(約180cm)、幅1尺(約30.3cm)、厚さ1寸(約3cm)のヒノキ板でできた看板です。文字は、勘亭流という丸みを帯びた書体ですが、南座だけで江戸時代から使われている独自のものです。
勘亭流は、江戸時代に盛んに使われた図案文字である“江戸文字”のひとつで、他には“相撲文字”や“寄席文字”などが知られています。勘亭流は、江戸時代中期の安永8(1779)年の正月に、江戸中村座の座主だった九代目中村勘三郎に揮毫を頼まれた日本橋堺町に住む御家流書家の岡崎屋勘六による表看板や番附けなどが、今までにない面白い書体だと江戸っ子の間で大評判になったことからはじまったと伝えられています。勘六の号であった“勘亭”から“勘亭流”と呼ばれるようになったとか。
書体の特徴は、「太く書き、隙間をなくす=空席がすくないように…大入りを願う」、「文字を尖らせず丸みを持たせる=興業の円満無事を祈る」、「ハネを内側に入れる=お客様を芝居小屋に招き入れる」といった縁起かつぎも併せ持っています。また、詰めて読みにくく書くのは、“読みにくいものを読むのが芝居通”という遊び心を込めているともいわれているようです。
今日も底冷えの京都・祇園界隈をたくさんの人が行き交います。アジアから、ヨーロッパから、アメリカから…。誰もが、南座の前では、『まねき』を見上げながら通り過ぎていきます。冷たい風が吹こうとも肉太の丸い文字が、見る人の心を温めてくれていることでしょう。