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森カズオ
文字のある風景③
『銀河鉄道の夜』~儚く消えゆくものたち~

文字のある風景③『銀河鉄道の夜』~儚く消えゆくものたち~

「まだ、あんたが来るようなところやないから!とっととお帰り!」
いつもはニコニコしていてやさしい祖母が烈火のごとく厳しい口調で叱りつけた。

母は、川のほとりに立っていたといいます。向こう岸では、きれいな着物に身をつつんだ、それは美しい女の人たちが楽しそうに楽器を弾きながら歌っています。その音曲は、なんとも心地よく耳に響いてきて、うっとりとしてしまうのです。すると、女の人のひとりが、笑顔で手招きします。
あ~、行ってみたいなぁ、この川を渡って、あっちに行きたいなぁ…そう思った時に、祖母が向こう岸に現れたのだそうです。30mくらいの川だったでしょうか。向こう岸にいるはずの祖母の顔が母の目の前に迫っていました。そして、烈火のごとく叱りつけたのです。有無を言わせないほどの厳しい口調だったそうです。今まで見せたことのない祖母の表情でした。あぁ、これは諦めなければならないのだなぁ…と母は決心したそうです。

気が付くと病室だったそうです。目を開けると病室の天井が見えたので分かったそうです。さっきの川の風景はなんだったんだろう?しばらく、何がなんだか分からなかったといいます。

母は、20代の頃、虫垂炎になり手術をしたのですが、経過が悪くて腹膜炎を発症し、生死の境を彷徨いました。その境目で見たのが、先の風景だったのです。つまり「臨死体験」ですね。

こんな話を僕は幼い頃、何度も何度も聞かされました。殺生したらいかんよ。そう言いながら母は自らの臨死体験…三途の川を渡りかけた話をするのでした。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、そんな臨死体験のようなことを描いた小説です。宇宙の浪漫だとか幻想ドラマだとか、いろんなことが言われますが、僕は三途の川と天の川の類似性を感じます。多くの人がそんな感じをお持ちなのではないでしょうか。

列車に乗り合わせる人たちの中には、明らかにタイタニック号で犠牲になったのではないか、という青年と幼い兄妹がいたりします。調べてみるとタイタニック号が北大西洋の氷山に激突して沈没したのは1912年。賢治が『銀河鉄道の夜』を書き始めたのは1924年頃です。彼のイメージの中には、タイタニック号の悲劇があったに違いありません。

文字のある風景③『銀河鉄道の夜』~儚く消えゆくものたち~

ところで、『銀河鉄道の夜』のお話でした。主人公のジョバンニは猟師の息子。出かけたまま帰ってこない父を待ちながら病弱の母と二人で暮らしています。貧乏ゆえにジョバンニはクラスのみんなからいじめられます。そんな中で、学者の父を持つカンパネルラだけは、彼にやさしく接します。
まちのお祭である「ケンタウル祭」の夜、みんなといっしょに行動できないジョバンニは岡の上の草むらに寝転がって星を眺めていましたが、いつの間にか見知らぬ列車がやって来て、それに乗ってしまいます。すると、そこには、カンパネルラがいたのでした。その列車は、銀河をめぐる旅をするものでした。ジョバンニとカンパネルラは、いろんな同乗者と出会いながら、銀河の旅を続けます。

賢治は、銀河の世界を彼の豊富な鉱物の知識を活かして描いています。それは、半ば透き通っていて、鋭角的なフォルムを感じさせるコスモティックワールド。まさに幽玄の世界です。すぐに消えて無くなりそうな、そうでいてちゃんと存在しているのを感じさせます。僕には、夏の彼(か)は(わ)誰(たれ)時(どき)を感じさせる描写でした。もしかすると、春はあけぼの…ではじまる枕草子が下敷きになっているのかもしれませんが…。

『銀河鉄道の夜』には、ジョバンニが働いているシーンの描写があります。それが「活版所」。彼は、ときどき活版所を訪れては、活字拾いの手伝いをします。植字というものですね。彼は、さっと活字を拾い、親方からこづかいをもらって家に帰ります。苦しい生活を支えていたのでしょう。でも、なぜ、賢治はジョバンニの働き先に活版所を選んだんでしょう?それについては書かれたものが残っているわけでもなく、彼に聞いてみないと分からないことだし、彼は84年前の1933年に亡くなっているわけで、聞きようもないし…。

僕が勝手に想像するには、儚く消えていくものたちが多い中で、印刷というものは長らく生き続けるものだという思いがあったのではないか、と。この世では、命さえ不確かな中で、いつ消え去ってもおかしくない。一方、印刷したものは、それをつくった人がいなくなっても、ずっと残っていくものです。そんな対比を賢治はしたかったんじゃないか…と勝手に思ったりしています。

記憶は、どんどん透き通っていって、いつしかなくなっていくものです。しかし、記録は、いつまでもその色や形を後世に伝えていきます。印刷を通して、僕たちは、次の世代、また次の世代へと受け継いでいくような、すてきなものを生み出しているのでしょうか。久しぶりに読み直してみた『銀河鉄道の夜』から突き付けられた課題です。

文字のある風景③『銀河鉄道の夜』~儚く消えゆくものたち~

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コピーライター・デザイナー・プランナー
エディター・フォトエッセイスト・造形作家

1964年、東京五輪開催、新幹線開通の年に京都府で生まれる。
立命館大学経済学部卒業後、広告制作プロダクションに入り、当時流行りのコピーライターというものになる。
以降、徒弟制度の中で四苦八苦しながらコピーライターを続け、1997年に独立。フリーランサーという、これも流行りの肩書を手に入れることになる。
2003年にはGalley HAY-ON-WYEを立ち上げ、アートシーンにも足を踏み入れてしまう。
現在は、地元亀岡市のまちづくりをはじめ、堀越神社を中心にした天王寺界隈の活性化や南禅寺畔では上田秋成の顕彰会を行うなど地域貢献の道にも進んでいる。
文字と図像と企画が大好きな五十路男。
森敬典という名で、フォトエッセイや造形作品づくりも行っている。
○総合デザイナー協会(DAS)会員
○日本笑い学会会員・講師
○ISIS編集学校・師範代

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