森カズオ
文字のある風景㉑
『文字入りウェア』~まちの広告塔あるいはメディア~
80年代、世の中は、DCブランドで覆いつくされていた。胸や背中にブランドのロゴをこれ見よがしに貼り付けて、流行の先端をひた走っていることを主張するために、多くの若者たちが、文字の入ったウェアを我先に着てまちを闊歩していたものだった。
かくいう自分も先端に居ることを主張したいがために、DCブランドの服に身を包んでいたものだった。ただ、自己主張がしたいがためであって、DCブランドの広告塔になるつもりはまったくなかったので、文字=ブランドロゴの入ったコスチュームを着ることは避けていたのを憶えている。大枚はたいて、ブランドの宣伝をするなんて、まっぴらだ、と考えていたからだ。でも、まちには、「BIGI」だの「Pink House」だのといった文字がところ狭しと踊っていた。みんな、文字の入ったウェアに、ステイタスを感じていたのだろう。なんともバブルなことである。
バブル経済がはじけ、リーマンショックの勃発で、世の中は、まったくもって鎮静化の一途をたどってしまった。UNI-QLOの時代がやってきたのだ。あるいは、無印の時代といってもいいのかもしれない。ノンブランドが「よし」とされる風潮に染まってきたのである。これ見よがしにブランドを主張するのはダサいことと認識されるようになった。
でも、でも、なのである。ウェアは、ブランド名を主張することから離れ、自分自身のメッセージを伝えるものとなってきたのではないか、と感じている。メッセージ入りのウェアの時代に入ったのだ。古くは「しまんちゅー」などと沖縄っぽい表現のTシャツをよく目にした。この文字入りTシャツ、はじめは、何かしらのイベントのグッズとして登場したのかもしれない。そういえば、阪神タイガース関連のTシャツにもメッセージ入りのものがたくさん見られた。いずれにしても、ややヤンキースピリットがからむところで、メッセージ入りTシャツは育まれていったのかもしれない。
大阪の名物商店街として知られる天神橋筋商店街には、メッセージ入りTシャツの専門店がある。こんな店が存続できるということが、ほんとうに大阪らしいのであるが、毎日、元気に営業をしているようだ。なんとも逞しいことではないか。
結局、文字をまとうということは、その人自身がメディアになるということである。時に、その行為はブランドの広告塔となることもある。しかし、その人を一人のアジテーターにすることもある。何らかのメッセージを見る人に伝えるわけである。コミュニケーションという文字が持つ最大の機能を大いに活用しているのである。着る=伝える。なんとも、興味深い行動だと思う。どんどん、自分らしいオリジナルのメッセージをまちにまき散らしてほしい、と思うばかりである。