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森カズオ
文字のある風景⑨
『道標』~人の往来を導く文字~

路傍に建てられた「道しるべ」。行先とそこまでの距離などが刻まれている。 - 文字のある風景⑨ 『道標』~人の往来を導く文字~ - 森カズオ | 活版印刷研究所

路傍に建てられた「道しるべ」。行先とそこまでの距離などが刻まれている。

いったい自分がどこにいるのか、どちらを向いて進んでいるのか、一向に分からないという人がいる。いわゆる“方向音痴”と呼ばれる人だ。うちの事務所に来られる人の中にも、このような人がいて、たいてい近所から電話をされるので、分かりやすい目印のある所に留まっていてもらって迎えにいくことにいている。ま、最近は、ナビが発達してきて、クルマにしろ徒歩にしろ、道に迷うことは少なくなったようだが…。

明治時代くらいまでは、道端に石でできた「道しるべ」なるものが建てられて、道行く人たちが迷わぬように道案内をしていた。“右 愛宕山 四里 左 妙見山 十里”などと行先とそこまでの距離が標されていて、その文字に導かれて旅人は旅程を考え、歩を進めたのである。地図が普及しているわけでもなく、もちろんナビなんて文明の利器のなかった時代、「道しるべ」は、道行く人たちの命綱だったのです。

江戸時代の浮世絵に描かれた道しるべ - 文字のある風景⑨ 『道標』~人の往来を導く文字~ - 森カズオ | 活版印刷研究所

江戸時代の浮世絵に描かれた道しるべ

1963(昭和38)年7月16日、日本初の高速道路である名神高速道路の栗東ICから尼崎ICの区間が開通し、翌々年の1965(昭和40)年7月1日には、小牧ICから一宮ICの区間が開通し、名神高速道路は全線開通となった。日本は本格的な高速道路時代を迎えることになる。この高速道路で活躍したのが、道路標識である。
2010(平成22)年、この道路標識に一大改革が行われた。書体の変更である。2010年以前は、いわゆる公団ゴシックと呼ばれた高速道路ゴシックという書体が使われていた。この書体は、視認性を高めるために文字の大胆なディフォルメが施されていた。縦線横線、跳ねや点の省略などである。このディフォルメが書体ファンにとっては、たまらない魅力となるとともに漢字保守派にはとんでもない漢字の改ざんだと批評されていた。いずれにしても、ある人たちには気になって仕方がない文字だったのである。
この文字が、50年ほどの時代を経て、とうとう使われなくなったのである。理由は、開発者がすでに亡くなっていて新しい文字がつくれないからだという。結局、公団ゴシックは、i-padなどで使われているヒラギノという書体に変わった。人を導く文字のひとつが、時代の流れの中で、その寿命を終えたのであった。

左が公団ゴシック、右がヒラギノ。 - 文字のある風景⑨ 『道標』~人の往来を導く文字~ - 森カズオ | 活版印刷研究所

左が公団ゴシック、右がヒラギノ。

公団ゴシックでは、「鷹」や「豊」に大胆なディフォルメが施されていた。 - 文字のある風景⑨ 『道標』~人の往来を導く文字~ - 森カズオ | 活版印刷研究所

公団ゴシックでは、「鷹」や「豊」に大胆なディフォルメが施されていた。

時代を超えて、道行く人たちを導いてきたのは「文字」。かつては、石に刻みつけるものだったが、高度成長期には大型看板に掲出されるものとなった。いずれにしても「文字」は、人々を目的の場所に正確に導く役割を果たしてきた。
そして、今、ナビが普及した時代。導き役は、文字だけでなく画像や動画など、あらゆる視覚的要素を総動員されている。しかし、その根底には、やはり「文字」がある。「文字」は、いつまでも人を導く大切な役割を担い続けるだろう。

路傍に建てられた「道しるべ」。行先とそこまでの距離などが刻まれている。 - 文字のある風景⑨ 『道標』~人の往来を導く文字~ - 森カズオ | 活版印刷研究所

路傍に建てられた「道しるべ」。行先とそこまでの距離などが刻まれている。

江戸時代の浮世絵に描かれた道しるべ - 文字のある風景⑨ 『道標』~人の往来を導く文字~ - 森カズオ | 活版印刷研究所

江戸時代の浮世絵に描かれた道しるべ

左が公団ゴシック、右がヒラギノ。 - 文字のある風景⑨ 『道標』~人の往来を導く文字~ - 森カズオ | 活版印刷研究所

左が公団ゴシック、右がヒラギノ。

公団ゴシックでは、「鷹」や「豊」に大胆なディフォルメが施されていた。 - 文字のある風景⑨ 『道標』~人の往来を導く文字~ - 森カズオ | 活版印刷研究所

公団ゴシックでは、「鷹」や「豊」に大胆なディフォルメが施されていた。