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株式会社 オオウエ
機械抄き和紙が得意な問屋の覚書

こんにちは、大阪で和紙問屋をやっている株式会社オオウエの大上です。
はじめまして。
手漉き和紙については、紙ノ余白さんが、とても素晴らしい臨場感あふれる物をお書きなので、私は機械抄き和紙について書いて行ければと思います。

はじめましてなので、最初にオオウエという会社の歴史についてお話しします。

オオウエは1947年に、大阪の四天王寺で開業しました。
私の祖父のおじさんと、祖父で始めたと聞いています。
元から代々和紙屋だったというわけではなく、戦争が終わり、これから何が必要かというときに、紙を手掛けてみようと思ったそうです。

株式会社 オオウエ | 機械抄き和紙が得意な問屋の覚書

(写真1)創業期は大上商店

最初は勿論、手漉き和紙の卸からスタートしています。

福井県の越前和紙を主に扱っていました。
従業員さんも、越前から雇ってきたそうです。

今はショールーム兼倉庫として使っている建物に、皆住み込みで働いていました。職住一致の生活です。

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(写真2)創業期のオオウエ

うちわや扇子、掛け紙の紙などを主に取り扱っていました。
特に、うちわの紙はかなりのシェアを取っていたと聞いています。

戦後の経済成長とともに、紙の需要も増大しました。
ある封筒メーカーさんとずっと成長し、売り上げも順調に伸びていきました。

機械で和紙を抄くメーカーも増えてきて、次第に効率的で価格を安く抑えられる機械抄き和紙の扱いが増えていきました。

カレンダーや箸袋、封筒、株券、お寺関係、百貨店の掛け紙、障子などに特に多く販売をしていました。
そのころには、和紙は四国からのものが多くなっていて、祖父はよく船で四国に通っていたようです。

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(写真3)谷町筋に面した倉庫

1990年代までは、ずっと順調に成長を続けていました。
立派なビルも建てさせてもらいました。
笑い話になるのですが、当時は紙の需要が多すぎて、本来であれば出荷できないような厚みがまだ定まらない抄き始めの紙すら、必要だということで出荷していたそうです。

株式会社 オオウエ | 機械抄き和紙が得意な問屋の覚書

(写真4)本社ビル建造

しかし、バブルもはじけた20世紀末。
どんどんライフスタイルの変化が起こりました。
障子は破れないプラスチック障子紙に変わり、株券は電子化により不要になり、豪華な結婚式や香典を必要とするお葬式は減りました。
また、苦しくなると企業が一番最初に削るのは販促費。
パッケージや掛け紙も、和紙から洋紙にどんどん変わりました。

印刷性とコスト減を追い求めた機械抄き和紙は、その価値を見失ってきました。
そして、毎年のように廃業の知らせをいただくようになりました。
コストを求めるなら洋紙に、風合いを求めるなら特殊紙に、思いっきりこだわるなら手漉きに、と、
機械抄き和紙の立ち位置は難しくなっています。

そんな折の2011年に、私は入社をしました。
まさに、出口の見えない状態です。
それでも、機械抄きの和紙もやられっぱなしではありません。
それぞれのメーカーが独自性を出し、創意工夫で現代に合うやり方を模索しています。

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(写真5)全国の和紙を在庫

この連載で、そういった機械抄き和紙の現状に触れていただければ幸いです。

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(写真1)創業期は大上商店

株式会社 オオウエ | 機械抄き和紙が得意な問屋の覚書

(写真2)創業期のオオウエ

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(写真3)谷町筋に面した倉庫

株式会社 オオウエ | 機械抄き和紙が得意な問屋の覚書

(写真4)本社ビル建造

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(写真5)全国の和紙を在庫