紙ノ余白
美濃の楮
美濃は有名な和紙の産地ですが、私は、美濃という産地について知っているようで知らない、という変なコンプレックスがありました。
美濃和紙の原紙や加工品を多く目にするも、美濃和紙の特徴や定義とは何だろうと長らく疑問でした。
現地の漉き手の方と交流をし始めて、私の勝手なイメージと全く異なる産地の現状を知るにつれ、深く長い美濃の歴史の核心に私はまだまだ触れられていないと感じています。
何度も足を運び、自分の手や眼で知っていきたい産地のひとつです。
美濃和紙=「那須楮」と聞かれたり、思い浮かばれることがあると思いますが、那須楮は実は美濃、つまり岐阜県美濃市産ではなく、茨城県大子町産の楮のことです。
ですので、大子那須楮(ダイゴナスコウゾ)とも呼ばれることもあります。
これは、私の自論なのですが、
楮は、土地、産地が変われば、同じ品種でありながら、別の質になる、と思います。
ワインが気候、地形や土の質で味が変わるのとよく似ていると思います。
那須楮は、成長がゆっくりじっくりで、そのため繊維がキメ細く短い、と漉き手の方から聞いてから、美濃和紙を染めて加工すると、その感触が伝わってきて、まさに!と思いました。
以来、その産地の楮はその産地の和紙そのものだと益々思っています。
美濃では楮は栽培されていないのか、というと、戦前に「ツボ草」と呼ばれて地の楮は多く栽培されていたそうです。
戦中の食糧難を機に、野菜畑や田に変わり楮畑は徐々に姿を消しました。
そして今、若手の漉き手が、美濃産の楮の復興に尽力しています。
これは、本当に大きな努力だと思います。
産地として和紙に関わる仕事が分業化されて、「漉き手は紙を漉く」という完全な専業の歴史が美濃にはあります。
栽培の習慣やノウハウがない中、紙漉きの仕事の合間、各自の時間を割いて、手入れをしています。
近年の那須楮の栽培農家の方に高齢化による今後の原料入手が難しくなるという危機感が強くあるためです。
それでも、日常的に栽培が行われている環境ではありませんし、那須楮への危機感よりも「原料は買うもの」という専業性の考えがまだまだ濃く、周囲の理解や協力がなかなか得られない中、美濃で楮が育たないと美濃和紙は残せないという強く熱い思いと目にした楮畑が目に焼き付いて離れず、今年再訪して、畑の手入れをお手伝いさせて頂きました。
その話はまた次回に。