生田信一(ファー・インク)
「活版TOKYO2018」に行ってきました〈前編〉
2018年7月27日(金)、28日(土)、29日(日)の三日間、東京都千代田区神田神保町において「活版TOKYO 2018」のイベントが開催されました。「活版TOKYO」は、活版印刷に関わるクリエイターや印刷・製版会社さんが一堂に集まるイベントです。4回目になる今回は、過去最大規模となる40を超える作家や工房、印刷・製版会社さんなどが集まりました。活版印刷が体験できるワークショップや展示、トークショーも催され、毎回楽しみなイベントです。
そこで今回は、前編・後編の2回に分けてコラムをお届けします。駆け足になりますが、会場に来ることができなかった人のためにできるだけ多くの写真を使ってご紹介したいと思います。では、ご覧ください(^^)/
世界の活版展──海外レタープレス作家作品の展示
今回の展示で印象的だったのは、世界の活版印刷の作品に触れることができたことでした。会場のテラススクエア1階では、「世界の活版展」が催され、これまで日本ではほとんど触れる機会がなかった海外の活版印刷の作品を一堂に見ることができました(写真1)。
展示の企画を担当されたのはBird Design Letterpressの市倉夫妻。会期中はお二人ともブースに常駐され、来場者に説明や解説をされていました。来場者が絶えることがなかったので、お忙しかったと思います。会場で配布された案内に、今回の展示の意義が要約されていました。少し長いですが引用します。
「いま、活版印刷は、印刷版の技術向上に伴う印刷手法の変化と、それに伴うグラフィックデザインの多様性によって大きな進化の中にいます。
活版印刷は、最新印刷技術の牽引役としての役目を終え、印刷速度という制約から外れることによりアーティスティックで深みのある印刷に生まれ変わり、今日の活版印刷を進化させています。これは日本だけの話ではなく、世界各国でその文化をベースとして活版印刷は幅広く進化しています。
現在の活版印刷の世界をより知っていただく為、海外の13のスタジオをお招き致しました。海外の素晴らしい活版印刷作品を世界の活版展にてお楽しみください。」
私が撮影したスナップ写真になりますが、一部を紹介しましょう(写真2〜25)。
日本にいながら、世界中の活版クリエイターの皆さんの作品を間近で見れるなんて夢のようです。この展示を企画し、準備された市倉さんにお礼申し上げます。個々の作品を拝見すると、それぞれの国の文化を背負っていることがわかります。活版印刷の新しい可能性や魅力を感じ取っていただけるのではないでしょうか。
展示を終えて、後日、市倉さんにお話を伺いました。
「世界各国で活躍されている活版印刷スタジオは、どこもとても刺激的で魅力に溢れています。彼らの多彩な作品は、活版印刷の特長を活かしたデザインワークや印刷手法、様々なアイデアや経験、文化と社会的背景をベースに生み出されたものでした。
展示された作品は、現代的なグラフィックデザインと活版印刷技術が高いレベルで融合したものから、伝統的な活字やウッドタイプを用いながら現代的にアップデートされたタイポグラフィの作品、加工技術を加えより洗練されたプロダクト。手書きのイラストを色分解して印刷する手法や、印圧の違いによるへこみをアクセントとして強調したアーティスティックな作品。シンプルなモノクロの世界観で構成されたものや、色の掛け合わせを最大限に活かした意欲的な作品まで、多種多様のアートプリントが集まる展示となりました。
この素晴らしい作品たちが多くの方の感性に触れることにより新しい作品が生み出され、次なる潮流を創っていく、そんなきっかけになったら嬉しいと思っています。
ご来場いただいた方々とお話できたのも非常に楽しかったです。作品を見ながら感想を語り合い、お世話になっている印刷機のエンジニアさんとは技術的な面から作品を分析したり、デザイナーの方も多くいらしてくださったのでグラフィックデザインの観点から話し合ったり。じっくりと活版印刷について語り合う機会となったのはとても嬉しい事でした。
この世界の活版展の開催に尽力いただいた全ての方に感謝しております。ありがとうございました。」
トークショー「アメリカンレタープレス行脚/活版レスキュー」
世界の活版に触れたあとは、トークショー「アメリカンレタープレス行脚/活版レスキュー」をご紹介しましょう。欧米ではカード文化が浸透し、街のコンビニエンスストアのようなショップでも多くの種類のカードが並んで販売されていると聞きます。本場アメリカのカード文化についてもかねがね知りたいと思ってました。お話いただくのは、大阪市の活版印刷所なにわ活版印刷所の代表 大西祐一郎さん、聞き手はデザイナーで活版TOKYOの運営委員でもある東條メリーさんです。
大西祐一郎さんは、印刷会社を経営するかたわら、活版印刷のビジネスにも取り組まれています。調査と自社で使用する機材や活字を購入する目的で数度に渡りアメリカを訪れています。現地で催されるイベントや即売会に合わせて訪れる日程やコースを決め、さらに活字鋳造の現場を訪問したり、大学や美術館などの工房や施設を巡り、そこで行われているワークショップに参加するなど、精力的な取材活動を行ってきました。
トークショーは限られた時間でしたが、現地で撮影された貴重な写真をスライドで紹介しながら、楽しいトークを繰り広げていただきました。その一部をご紹介したいと思います(写真26、27)。
旅の移動は飛行機とレンタカーを組み合わせ、一回の旅行で効率的に目的地を回ります。車で移動中のエピソードを交えながら、楽しい活版印刷の旅のお話を聞かせいただきました(写真28)。
日本との大きな違いは、主要都市には印刷技術を学べる施設があり、自分の作りたいものを実際に作れる場所や機会が得やすいという印象を持ちました。施設の中には200以上のカリキュラムが用意されているところもあり、目的に応じてコースが選べるようになっているそうです。
大西さんは、サンフランシスコの印刷工房のワークショップで製本コースを体験されたそうです。また、デジタル関連のイベント、Adobe MAXにも参加、タイポグラフィのコースを受講されました。どれも実技を伴うワークショップですが、「中学生レベルの英会話能力でもなんとか仕上げることができた」と笑いながら話します(写真29)。
また、大学の研究期間の資料館はとてもオープンで、著名な文献の資料も実際に手にして閲覧することができるそうです。資料館には活字や印刷機材なども保管され、これらも自由に見学できたことを話されました(写真30)。
お話を伺って、私なりに整理すると、現在では入手が難しくなってしまった活字や活版印刷機の市場が、アメリカでは日本よりも良い環境で取引が行われているという印象でした。欧米ではお祝いや招待状などのカード印刷の需要は大きく、活版印刷が根強い人気を持っていることを聞きます。需要が多いからこそ活版印刷を手がける会社や工房が数多く存在し、機材や活字を取引する場も数多くあり、相場もある程度確立されているということなのでしょう。
日本においても、活版印刷機はかつての印刷の花形でしたから、ほどんどの印刷会社が活版印刷の設備を保有していました。しかし、オフセット、電算写植など印刷技術の革新が急スピードで進む中で、多くの活版印刷の機材は廃棄処分され、スクラップされてしまいました。
大西さんは一方で「活版レスキュー」という活動を手がけておられます。これは、活字や印刷機を手放す人と、機材を入手し新たに活版印刷のビジネスを始めたい人との間をつなぐもので、使われなくなった廃棄寸前の活版印刷機や活字を引き取り、次の世代に渡すという活動です。この活動は、長期間使っていなかった印刷機材を再生し、使えるようにするメンテナンスの技術や教育も必要です。古くなった大型の機材の移動やメンテナンスの作業には大変なご苦労があるようです(写真31)。
活版レスキューのFacebookページには、最新のニュースが報告されています。機材や活字の引き取り、整備、納入までの様子を見ることができます。
トークショー「三日月堂の印刷物と活版印刷の可能性」
もうひとつのトークショー「三日月堂の印刷物と活版印刷の可能性」をご紹介します。ポプラ社から刊行されている「活版印刷三日月堂」の小説はシリーズで3巻が発売されていますが、第4巻が2018年8月3日に刊行されました。新刊もすでにベストセラーになる勢いで、多くの人に愛されていることがわかります。
トークショーでは、著者のほしおさなえさんに、東條メリーさん、九ポ堂の酒井草平さんも加わって楽しいトークが繰り広げられました(写真32)。
まず、冒頭でお三方の活版印刷の関わりについて話されました。三人のお話を紹介します。
ほしおさんのお父様は翻訳家でいらしたそうです。そのため実家には膨大な量の本があり、ものごころついた頃から本が身近にある環境で育ったそうです。ポプラ社から「仕事をテーマ」にした小説の執筆の依頼があった時に、まっさきにお父様のことを思い、「活版印刷三日月堂」の構想が浮かんだそうです。
九ポ堂の酒井さんの育った環境は少し特殊です。酒井さんの祖父が大学の教員職を退官された時、自叙伝を本にまとめる目的で活版印刷の設備を買い求めたそうです。ですので、小さい時分からいつでも活版印刷ができる環境で育ったため、活版印刷については特別な感情は抱いていなかったとのこと。酒井さんが始められた当初は、お祖父様が残された活字と卓上活版印刷機アダナプレスで印刷されていたそうですが、徐々に道具を充実させていき、現在では自動活版印刷機デルマックスを導入されているそうです。
東條さんは、普段のお仕事はグラフィックデザイナーとして、主にウェブのお仕事などを手がけられています。20代の前半、会社に入社して半年ほど経ったころ、先輩のデザイナーに頼まれて、銀座にある中村活字さんを訪れたのがきっかけだったそうです。普段のウェブ制作では、全てのデザインがパソコン上で完結するのですが、中村活字で初めて目にした活版印刷は衝撃的だったと語ります。熟練した職人さんが活字と呼ばれる文字をひとつひとつ手で拾ってレイアウトに沿って組み上げるというアナログな作業と、綿密なコミュニケーションを要するというプロセスにとても魅力を感じた、と話します。このことがきっかけで、のちに活版印刷の全工程を体験する「活版工房」を運営するようになっていったそうです。
きっかけは人それぞれですね。私の場合のきっかけは、当サイトの1回目のコラムに詳しく書きました(第1回コラム「活版印刷、ぶらり散歩 ─ 入門編」参照)。学生の卒業制作の取材で、新宿区榎町の佐々木活字店を訪れたのがきっかけでした。普段使うデジタルフォントは文字がデザインされている外側の枠を「仮想ボディ」と呼ぶのですが、生の金属活字に触れ、仮想ではない「実体」としてのボディをリアルな感覚として意識できた時の衝撃は今でも覚えています。そして、金属活字がタイポグラフィの歴史の中で大きな役割を担ってきたことを意識できるようになりました。このときの経験は今日の仕事においても役立っています。
三人のトークの中でも「実体」「モノ」としての活字の魅力については熱心に語られました。このことは活版印刷を語る上で重要なポイントだろうと思います。ヨーロッパではグーテンベルグ以来、500年以上にわたって金属活字は進化し、文化の発展や浸透に大きく寄与してきました。日本でも金属活字は明治期以降に普及し、つい先ごろまでは印刷文化の中心でした。簡単に捨て去ることはできない文化であり、その良さを今後も継続して残していきたいと願うのは、自然の感情のように思います。
ほしおさなえさんは、ワークショップのブースに出店もされていました。ブースでは、これまでに刊行された本の紹介のほか、小説から派生した活版グッズも展示・販売されていました(写真33、34)。
ほしおさなえさんのブースで壮観だったのは、140字活版カードの販売コーナーです。名刺サイズの活版印刷で刷られた140字の小説が、セットでもバラでも買えます(写真35、36)。140字活版カードは、小説「活版印刷三日月堂」が始まる前からスタートし、のちにtwitterで作品を発表するようになり、人気のグッズになっていったそうです。印刷を活版の工房・九ポ堂さんにお願いし、活字を組んで作成しています。通常版のほか、毎回さまざまなアーティストの方とコラボレーションした特装版も作られています。
ほしおさんのブースのお隣には活版TOKYO×ほしおさんのワークショップのコーナーが併設されていました。140字活版カードのオリジナルが作れ、その場で活字を組んで印刷して仕上げるというものです。小説の中の2文字が空白(ブランク)になっており、その2文字を自分で考えて活字を指定できます。
私もトライしたのですが、いくら考えても2文字が思いつきません。なので、とりあえずゲタ(下駄)を入れてもらいました。ゲタは、活版印刷が行われていた頃、文選から組版の工程において必ずしも必要な活字が存在するとは限らず、とりあえず余っている活字を逆さにして埋め込んで代用したところから生まれた特殊な記号です。活字の背には溝があるので下駄の足跡に見える形から「ゲタ」と呼ばれています。デジタルのフォントにも下駄記号はあり、「げた」と入力して変換すると「〓」の記号が現れます。
活字2文字を組んで、用紙を2枚選んで印刷したものが、以下の写真です(写真37、38)。
最後に、2018年の夏から秋にかけて催される「活版印刷三日月堂」のイベントをご紹介します。2018年8月7日(火)~2019年1月20日(日)には、印刷博物館×「活版印刷三日月堂」のコラボ企画が催されます。展示に合わせて新しいグッズも披露されるとのこと。
また、小説の舞台になった川越市では、2018年8月1日(水)〜8月17日(金)まで、「小説でめぐる川越スタンプラリー」、8月17日(金)は講演「本のこと、文字のこと。」が催されます。詳細は「學のまち kawagoe」サイトを参照ください。
今回は、世界の活版展、トークショーの様子をお伝えしました。今回お伝えできなかったグッズなどのご紹介は、次回で予定しています。では、お楽しみに!