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活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる
Miki Wang

台湾では、電車きっぷのことを「硬票」または「名刺型車票」と呼び、「名刺型車票」は「埃德蒙森式鐵路車票」(Edmondson railway ticket)とも言う。
きっぷの機能や使い方によって、様々なサイズに分かれている。
1840 年、「埃德蒙森式鐵路車票」をイギリス人の駅長Thomas Edmondson によって発明され、そのきっぷの名字をEdmondson と名つけた。
「埃德蒙森式鐵路車票」は活版印刷を使用、時刻、駅情報や運賃などの情報を小さな厚紙に刷ることで、当時の手書ききっぷより効率的で、発券しやくなった。
1842 年から、イギリスの鉄道局は手書ききっぷを活版きっぷに切り替え、一般的なきっぷとなった。さらに、全ヨーロッパ中に広がり、世界中に知られるようになった。

活版印刷鐵路車票-拜訪台灣鐵路票務中心

在台灣稱作「硬票」和「名片式車票」的「埃德蒙森式鐵路車票」(Edmondson railway ticket), 在日本則稱為「鉄道硬券」,因車票的功能和性質相異,尺寸也略有不同。「埃德蒙森式鐵路車 票」由一位英國鐵路站長湯馬斯·埃德蒙森(Thomas Edmondson)於1840年代發明,並以其姓 Edmondson命名該型車票,他設計出了一種鐵路客票:一小塊紙板,以鉛活字組版後印上所有行程 細節,相對於當時的手寫紙質車票,售票處理更有效率,1842年起英國的鐵路清算所開始大量使用 ,後來並成為車票的標準格式,這項發明自英國流行到了歐洲至全世界。

1930’s Distribution & Manufacture of Railway Tickets in England

1930’s Distribution & Manufacture of Railway Tickets in England

台湾鉄道局は1890 年(中国の清王朝時代)から名刺型車票を導入した。使ったきっぷは、上海にあるMecury & Co. という印刷所で印刷され、一番最初に使われた活版きっぷとして記録された。
台湾の日本統治時代を経ち、日本の国友鉄工所から 活版印刷機を数台か購入し、自らきっぷを印刷し始めた、国民党政府が中国から台湾へ転移した後もずっと続いてる。
1980 年から、テクノロジーや通信技術の発展によって、ほとんどの国はネットワークを利用したきっぷ販売に切り替え、「埃德蒙森式鐵路車票」の発行量がどんどん減っていった。
台湾は鉄道改革した後、ネットワークが普及した関係で、発行量は一番盛んだ時期の毎日約50 万枚から、1 年間約60 万枚へ激減、現在まだ活版きっぷを使っている駅もあまり残っていない。
でも、特別な日に記念きっぷを印刷して発売しているらしい。なら現在台湾で使う名刺型車票はどこで印刷されいるのか、その疑問を持って訪ねてみたところ、台湾中壢駅の近くにある3階建ての工場を見つけた。そこは台湾中壢発券センターであり、台湾の印刷物やきっぷの生まれたところでもある。
発券センターは台湾中に現在唯一まだ活字を組んで印刷している公的機構、台湾の経済及び交通歴史の中で重要な役割を担い、紙幣を印刷する中央印刷所と同じようなところである。
きっぷは有価証券なので、印刷所の警備が非常にしっかりしており、関係者でないものの出入りは禁止されている。
私たちは台湾鉄道中壢発券センターの許可を得て、印刷所の内部に入り、やっと名刺型車票の全印刷工程が見れた。
印刷所の中に入り、空気にインキの匂いが混ざっている、柔らかな日差しが、中庭を照らし、両側の白い壁と若緑色の扉が見え、すごく懐かしく思える。
昔は活字鋳造工房も持っていたが、使用頻度がかなり少なくなったので、日星鋳字行に発注することになった、案内してくれる潘さんがそう教えてくれた。
3階建ての発券センターは印刷の工程別で部屋を使い分けしている。2階は裁断室、組版室、装幀室、1階の印刷室ではきっぷの柄、文字情報や台湾鉄道と関係する印刷物の印刷を行う。
印刷した後、枚数を数えてから包装し、100 枚単位で封鉛(ふうえん)でまとめる。印刷したきっぷが厳重に管理されている、外への流出は着服と同じ罪に問われ、印刷ロスも必ず残さずに処分するという。

台灣鐵路局(以下簡稱台鐵)的名片式車票則在1890年(清朝時期)開始使用,當時委由上海 Mecury & Co.印製,這批名片式車票是台灣最早開始使用的紀錄。經過日本治理時期,台灣 向日本 國友鐵工所購置數台印票機 開始自行印製車票,至國民政府來台後也延續使用著。但自1980年代起 ,由於科技進步和網路技術的發展,許多國家的鐵路售票陸續更新為電腦聯網售票,埃德蒙森式鐵 路車票日漸式微,而在經過台灣鐵路作業改革後,隨著售票電腦化,印票量從全盛時期每日約五十 萬張,萎縮至整年度僅六十餘萬張。剩下少數車站仍在出售。不過在特定場合,台灣鐵路仍會以名 片式車票印製紀念票發售。

那麼台灣目前的名片式車票,又是在哪印製的?在台灣鐵路的中壢車站附近,有一座三層樓廠房,這是台鐵中壢票務中心,台灣紙本硬、軟票的誕生基地。票務中心是全台唯一仍使用活字排版印刷的公家機構,在台灣經濟及交通運輸史占重要地位;就像印製貨幣的中央印製廠。因車票是有價證券,所以門禁森嚴,非相關人等無法隨意出入,經聯繫台鐵中壢票務中心的簡主任同意採訪後,我們進入管制的票務中心,藉此難得機會一窺完整的活版名片式車票印刷作業。

踏入廠區後, 空氣中瀰漫著油墨味 ,中庭透著些許陽光,照映著兩側白牆與石綠色的房門,是十分 懷舊的廠房氣氛。為我們帶路的潘先生提到,早年票務中心是配有鉛字鑄字房的,現因使用量減少 將鑄字房裁撤,改由向台灣的日星鑄字行採購印刷鉛字。三層樓的票務中心,依據印製流程,每間 工房也具有不同的功能,二樓有切票房、排字房、裝訂房,一樓則是印製房,專責印製底紋和票面 內容及台鐵相關作業表格及印刷品印製。印製完成後清點、捆紮、包裝,每百張一捆壓上鉛封,嚴 禁車票外流,一旦外流視同貪汙,會遭政風調查,就連印刷校車的不良品車票,也須清點繳銷。

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

発券センターの印刷所内
票務中心廠房內部

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

日本国友鉄工所から購入した活版印刷機、プレートを見ると色んな年代の物を使っていることがわかる
日本國友鐵工所的印票機,於印製房一角

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

追分駅ー成功駅のきっぷの活字組版
追分站→ 成功站 車票活字組版

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

印刷中の追分駅ー成功駅のきっぷ
追分站至成功站車票,印製作業中

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

発券センターの印刷所内
票務中心廠房內部

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

日本国友鉄工所から購入した活版印刷機、プレートを見ると色んな年代の物を使っていることがわかる
日本國友鐵工所的印票機,於印製房一角

現在まだ名刺型車票を使用している駅は日南駅、大肚駅(大肚駅ー成功駅区間のみ)、追分駅(追分駅ー成功駅区間のみ)、二水駅(集集線各駅までの連続乗車券)、加祿駅、南平駅、集集駅(集集鎮公所のみ販売する)、車埕駅(水里郷公所のみ販売する)、永康駅、保安駅(「永保安康」というおめでたい言葉入れのきっぷを販売)、四脚亭駅、牡丹駅、大溪駅活版が残った凹みの中には、旅人たちの懐かしい記憶が残されっている。
また、きっぷに載ってある情報から、どの駅がいつ建設されたか、車種、路線と線路の歴史なども分かるので、収集する人が大勢いる。
日本同じように、めでたい意味が含まれる駅名をつける習慣があり、各駅限定のきっぷも販売している。それ以外、かなり有名な台日友好駅の記念きっぷもある。
半世紀も超えたきっぷ印刷機は回り続けている。発券センターはもうただきっぷを印刷しているだけではなく、名刺型車票を鉄道文化に変えて新しい時代へ歩んでいく。
おめでたい言葉入れのきっぷ
勝田駅ー金上駅(ひたちなか海浜鉄道湊線) 「勝利・金運を上げる」
愛野駅ー吾妻駅(島原鉄道線) 「愛しの(愛野)吾が妻」
追分駅ー成功駅(台湾鉄道管理局) 「追分成功」成績を上げて成功する
永康駅ー保安駅(台湾鉄道管理局) 「永保安康」健康で安らかな暮らしを永遠に保つ

名刺型車票の印刷過程

紙の下準備:
きっぷの種類別で、様々な柄を印刷する → 柄を印刷した紙を長細く裁断する → 細かく裁断してからきっぷの形を整える

本番の印刷:
→ 印刷前のチェック(書体、料金、距離)
→ 活字を拾って版を組む
→ テスト印刷
→ 本番印刷
→ ナンバリング、梱包
→ 100枚単位で封鉛(ふうえん)でまとめる
→ 完成

注:台湾鉄道の歴史は清王朝まで遡れる、1 代目の巡撫の劉銘傳が「全台鐵路商務總局」を設立、鉄道を敷き始めた。当時客車が走る区間は途中臺北に止まり、基隆から新竹までの線路だけでした。
今の台湾鉄道系統が形成できたことは、日本統治時代に建設した基礎がしっかりできていたおかげだそうだ。
台湾鉄道中壢発券センター 名刺型車票の印刷過程
https://youtu.be/jUz4182BAus

台灣仍有販售名片式車票的車站有: 日南車站、大肚車站(僅販售大肚-成功的車票)、追分車站(僅販售追分-成功的車票)二水車站 (以套票型式販售至集集線各站車票)、加祿車站、南平車站、集集車站(集集鎮公所代售) 車埕車站(水里鄉公所代售)、永康車站、保安車站(販售「永保安康」吉祥語車票)、四腳亭車 站、牡丹車站、大溪車站

票卡上打印鉛字在紙卡上的凹下字跡觸感,刻印著旅人時光和記憶,且其印刷在票面的訊息可反映車站設立、車種和路線等鐵路歷史資訊,因而吸引許多人紀念收藏。台灣和日本也流行車站站名之間所發展的吉祥語車票,也有台日車站締結姐妹車站的紀念票,都是相當有名的紀念品。當看著歷經超過半世紀的印票機器運轉著,票務中心除了印製車票的功能,也走向名片式車票轉型成鐵路文化商品的新時代。

吉祥語車票:
勝田駅 → 金上駅(ひたちなか海浜鉄道湊線)「勝った・金運を上げる」
愛野駅 → 吾妻駅(島原鉄道)「愛しの(愛野)吾が妻」
追分駅 → 成功駅(台湾鉄路管理局)「追分成功」=点を追い上げ成功する
永康駅 → 保安駅(台湾鉄路管理局)「永保安康」=健康で安らかな暮らしを永遠に保つ

名片式車票印製步驟

空白名片備品:
正面依據車票屬性進行不同色底紋印刷 → 大紙分條 → 再分切成小張。完成尺寸57*30mm 即完成空白名片備品。

車票印製步驟:
→ 查核字樣、精算里程及票價製表後
→ 鉛字上架後進行檢字、再將鉛字排版
→ 印刷打樣在紙面上
→ 票面活版印刷
→ 車票 清點、捆紮、包裝
→ 每一百張一捆壓鉛封入箱
→ 即完成作業

備註:臺灣鐵道史可以追溯至清朝治理時期,最早以首任巡撫劉銘傳於1887年成立「全台鐵路商務 總局」,鋪設臺灣鐵路為開始,以一般客貨運鐵路營運的僅有基隆經臺北到新竹的路段,而目前臺 灣鐵路體系的形成主要是於日治時期建設的基礎。
延伸觀賞影片:臺鐵 中壢票務中心 名片式客票印製流程簡介

Translation by Tei Jyo

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

台日友好駅の記念きっぷ
台日締結車站紀念票

柄の刷った紙を長細く裁断し、きっぷの形を整える機械。

柄の刷った紙を長細く裁断し、きっぷの形を整える機械。
(左:きっぷの形を整える機械 右:紙を長細く裁断する機械)
將印好車票底紋的切票分條機,右方為分成長條,左方為切票機

活字の組み見本

活字の組み見本
印製前的鉛字排版樣式

各駅名の活字

各駅名の活字
車站站名字架

活字棚、膨大な量の活字が整然と並べられている。

活字棚、膨大な量の活字が整然と並べられている。
排字房庫藏大量鉛字

組版をする工房の一角、組版が行われている

組版をする工房の一角、組版が行われている
排字房一角,鉛字表格組版

活版印刷中、台湾鉄道局が使う用紙を印刷している様子

活版印刷中、台湾鉄道局が使う用紙を印刷している様子
活版印刷作業,印製台灣鐵路局表格

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

追分駅ー成功駅のきっぷの活字組版
追分站→ 成功站 車票活字組版

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

印刷中の追分駅ー成功駅のきっぷ
追分站至成功站車票,印製作業中

活版印刷の列車きっぷ 台湾鉄道発券センターを訪ねる

台日友好駅の記念きっぷ
台日締結車站紀念票

柄の刷った紙を長細く裁断し、きっぷの形を整える機械。

柄の刷った紙を長細く裁断し、きっぷの形を整える機械。
(左:きっぷの形を整える機械 右:紙を長細く裁断する機械)
將印好車票底紋的切票分條機,右方為分成長條,左方為切票機

活字の組み見本

活字の組み見本
印製前的鉛字排版樣式

各駅名の活字

各駅名の活字
車站站名字架

活字棚、膨大な量の活字が整然と並べられている。

活字棚、膨大な量の活字が整然と並べられている。
排字房庫藏大量鉛字

組版をする工房の一角、組版が行われている

組版をする工房の一角、組版が行われている
排字房一角,鉛字表格組版

活版印刷中、台湾鉄道局が使う用紙を印刷している様子

活版印刷中、台湾鉄道局が使う用紙を印刷している様子
活版印刷作業,印製台灣鐵路局表格