森カズオ
文字のある風景④
『道具がつくった文化』~書体の変遷~
みなさんは、一番最近、いつ文字を書きましたか?パソコンを使ってレポートを仕上げたとか、資料をまとめた…という方はたくさんいらっしゃるでしょう。でも、筆やペン、鉛筆を使って文字を書いたという方は少ないのではないでしょうか?今や文字は、“手で書く”ものから、“指で打つ”ものに変わりつつあるようです。
私たちが日常使っている漢字は、今から3300年ほど前の殷の時代の第22代皇帝・高宗武丁の時に「甲骨文字」として誕生したとされています。甲骨文字は、主に吉凶を占う占トに用いられたようで、亀の甲羅や獣の骨に占トの結果を記録するのに彫られたようです。時は流れて、やがて青銅器に鋳込まれる文字が生まれます。それが「金文」と呼ばれるものです。いずれにしても、この頃の文字は、筆などで書かれるものではなく、骨や金属に彫り込むものとして扱われていたのです。
やがて、「金文」を整理した書体「篆書」がつくり出されます。現在でも印鑑の書体として使われている由緒ある書体です。「篆書」の特徴は、文字の大きさが均等であること、線の太さが同じであること、縦長の長方形の枠の中に納まることなどが上げられます。これまで、各地でバラバラに発展していた漢字を新たに中国を統一した秦の始皇帝は「篆書」を全国統一文字として採用しています。
ここまでが、いわゆる「古文」と呼ばれるものですが、秦の時代には、記録媒体が木簡などに移り、筆による記録の機会が増え、筆記時間の効率を図るため「篆書」をさらに簡易化した「隷書」が生まれます。この書体以降が「今文」と呼ばれるものです。筆記道具も筆が中心となり、媒体も木や紙が使われるようになっていきます。「隷書」の特徴は、横長の字形で、左右の払いで波打つような運筆を持っていること。この頃、筆書きの機会が増えたというものの、まだ石や金属への彫字も少なくはありませんでした。そういった点では、「隷書」は、書くことと彫ることの両方を念頭においた書体だったといえるようです。
今でも、さまざまな書家が好んで使う「隷書」は、現在使われている多くの書体の母体となりました。文字の一画一画をきっちりと書く「楷書」、大きく崩して書く「草書」、それらの中間にあたる「行書」。書道の世界で使われる「真行草」とは、「隷書」から生まれたこれら3つの書体のことを示し、書家が身につけなければならない基本の書体として現在に受け継がれています。
真行草
時代は、ぐっと今に近づいて、筆記具としてペンの存在が台頭してきます。すると書体にも変化が顕われてきます。そう、「ゴシック体」の誕生です。線に飾りのないシンプルな字体を持つのが特徴の文字です。角ばった印象を持つ「角ゴシック」、丸い線が特徴の「丸ゴシック」が主になっています。いわゆる「とめ・はね・はらい」といった運筆の基本的な要素が省かれることも少なくなく、ペンという筆記具の特性を反映させた書体となっています。
その後、印刷が社会に普及してくると、「明朝体」がつくり出されます。この書体は、「楷書」を母体に活字化できるように簡易化さいたもの。先の「ゴシック体」とともに印刷の中心書体となっていきます。文字は「書くもの」から「刷られるもの」へと変化していったのです。この時代が、すぐこの前まで続いていました。
そしてデジタル時代の今…文字は「書くもの」「刷られるもの」からさらに進んで、「打つもの」の領域にまで踏み込んできています。記録媒体は、甲骨から金属・石、紙から画面へと広がっています。
2年程前、高名なグラフィックデザイナーであり、文字の研究家としても名高い杉浦康平氏に「デジタル時代にはどんな書体が生まれるのでしょう?」とお尋ねしたことがあります。氏いわく「コンピューターの画面表示に適したものが生み出されるでしょうね。例えば、中国の簡体字などがお手本になるかもしれません…」。漢字生誕の地・中国では簡体字への意向が進んでいます。これは、たくさんの画数を持つ字を変形させて10画以内に収めようという動き。日本でも、観光案内などでよく目にするようになりましたね。このような画数の省略を施した文字が増えてくるのかもしれません。
音楽の世界に喩えれば、楽曲のデジタル配信がメインになった今でも、蓄音機で聴くSP版を含むレコードはまだまだ現役ですし、CDなどのデジタル板媒体も生き残っています。まさに「多様性の時代」を迎えていると言えるでしょう。文字の世界だって、「甲骨文字」や「金文」はいざ知らず、「篆書」や「隷書」も趣味的ではありますが、さまざまなシーンで使われています。「真行草」「明朝体」「ゴシック体」も現役です。デジタル時代、どんな新しい書体が生まれるか…まだまだ未知数ではありますが、古いものから新しいものまで、いろんな文字を知り、時代の潮流に合わせて、それらを活かしていきたいものです。