森カズオ
文字のある風景②
『お品書き』~手書き文字の居酒屋情緒~
♪お酒はぬるめの燗がいい 肴はあぶったイカでいい…
ちょっと懐かしい演歌のメロディが流れる中、おちょこを酌み交わす居酒屋。なんとも風情があるものです。おっさん臭くて…などと敬遠されがちでしたが、最近は若い女性の間でもかなりの人気となっているようです。のれんをくぐったら、若いキャリアガールが独り銚子を傾けていた…なんて風景を見ることもしばしばですから。
先日、BS放送をザッピングしていたら、たまたま不朽の名作ドラマ『北の国から』を再放映していました。田中邦衛さん演じる黒板五郎と地井武男さん演じる中畑和夫が、演歌の流れる居酒屋で差し向かい飲んでいました。黙ったまま杯を飲み干していく二人。まるで、思いを呑み込んでいくように…。それは、言葉を使わない彼らなりの会話だったのでしょう。シャレたビストロなんかでは味わえない人間味にあふれていました。時には、こんな雰囲気に浸るのもいいものです。
こんな昭和チックな居酒屋に欠かせないのが“お品書き”。店によっては“短冊”と呼んでいるところもあるそうですが。たいていが、朱い枠に囲まれた細長い紙に、迫力のある黒色の手書き文字でどーんと品名が書かれていて、その下に朱書きで値段が添えられています。値段は、ほとんどすべて三ケタ。千円を超えるようなものは、めったに見かけません。時に“時価”という表記をめにすることはありますが、たいていのお客さんたちは“スルー”しているようです。鄙びたいい居酒屋になると、煙草のヤニで黄色くなったお品書きが店の壁という壁にずらーっと並んでいて、まったくもって壮観です。どの一品を選ぼうか…悩みに悩んでしまいます。これも居酒屋ならではの楽しみのひとつなのですが。
最近は、手書き風フォントなんかの登場で、小奇麗にプリントされたお品書きをよく見かけます。チェーン展開しているような居酒屋に多いのですが。統一された文字で書かれていると整然としていて見栄えはいいのかもしれませんが、やはり味わいに欠ける感じがしてなりません。お品書きごとに同じ文字でも少し違うくらいが“おいしい”のです。いや、時には誤字脱字があってもいいくらいです。その間違いをアテにしてお酒が進むということもあるのですから。そして、何より、手書き文字には、その店の人たちの思いがこもっているものです。お奨めの品の字はやはり力が入っていますし、少し自信のないものは、どこか遠慮がちな字になっています。気持ちが書に出るのですね。そして、書く人の個性も表われます。頭揃えで書く人、センター合わせにこだわる人、文字数が違っても天地を合わそうとする人…いろんなクセを見て取ることができるのです。これもお品書き見物の楽しみです。
海外に行っても、大衆的な店を訪れると、日本の居酒屋のようなお品書きを見ることがあります。特にアジア圏には多いようですね。タイの麺類店、香港の酒場、インド山間部の食堂…いずれもお品書きが所狭しと並べられていたものでした。どうやらお品書きは、日本独自の文化ではなく、アジア文化共通、いや人類共通の財産なのかもしれません。これは、もうれっきとしたコミュニケーションツールのひとつとして認識してもいいのではないでしょうか。
木枯らしが吹く仕事帰り。コートの襟を立てながら足早に歩く中、目に留まる赤提灯。のれんをくぐれば、お品書きの文字たちが、あなたに目配せしてくれることでしょう。